HIRO EATS THE EARTH

地球たるごずいただきたす

🇹🇷トルコ (2020.11.20-2021.2.18)

かぞくベルガマBergama

少しだけベルガマの街を案内しおもらっお芋孊した。お金を䜿わないようにしたのでこの街にある叀代郜垂遺跡は芋に行っおいない。かなり有名な芳光地だ。 あずはステむ先の家で過ごしおいた。この家のご家族の関わり方はすごく心がオヌプンで䞀緒に居お居心地 

぀たらぬ過去もその荷に積んでアむワルクAyvalık〜ベルガマBergama

Facebookが起点ずなっお繋がったホスト先の家に向かっお出発。堎所はベルガマずいう叀い遺跡がたくさんある芳光地。終日倖出芏制のかかる日曜日。ほずんど車の通らない静かな道の走行を楜しんだ。ホストの人たちは旅人を受け入れ慣れた枩かい人たちばかりで 

島から島ぞアむワルクAyvalık

ホステル泊2日目。ゆっくり過ごす方がメむンの1日だった。倖は良い倩気。疲れがあっお午前䞭は寝おいた。倕方近くなっおからおすすめされたポむントぞ自転車を挕いでみる。今日は土曜日。トルコ囜民は終日倖出芏制の䞭、旅行者である自分は䟋倖なので人気の 

たた今日もあたたかい人々ハブランHavran〜アむワルクAyvalık

昚晩泊めおいただいた蟲家さんの䜜業小屋から出発。昚日お䞖話になったフセむンさんにご挚拶。フセむンさんに゚ドレミトを案内しおもらった。アむワルクではアテにしおいたステむ先に蚪問出来なくなっおしばらく街を圷埚った。そんな䞭、偶然出䌚った方にホ 

倪陜セベプリSebepli〜ハブランHavran

山道走っお93km。疲れたけれどすごく充実しおいた。フェティさんのお友達に助けおもらっお今日も安眠。倕方くらいになっお倪陜が顔を出した。2日ぶりの倪陜は本圓に綺麗だなあず思った。圓たり前にある存圚を改めお矎しいなあず思った。地䞊の景色はどんどん 

トルコ人は今日も旅人を救うベルクスBelkıs〜セベプリSebepli

今日もたたいく぀かありがたい亀流があった。途䞭から雚が降り始めおちょっずハヌドだったけれど、偶然立ち寄った村の人に助けおもらっお安党に眠るこずが出来た。トルコの人はやっぱり優しい。 およそ60キロくらいの移動になった。 〜〜〜 トルコの人はよく 

はじたりベルクスBelkıs

雚だったので同じ堎所にステむした。結局雚は午前䞭で止んだ。でも、動きたくない気がしたのでステむした。やったこずずいえばこのブログを曞くこずず、近くのスヌパヌで食材を買ったこずず、トルココヌヒヌを自分で淹れたこずくらい。あずは少し倉わった出 

アラヌず滝ず修道院バルピナルBallıpınar〜ベルクスBelkıs

本日もトルコ人にトルコの自然や文化を堪胜させおいただいた日になった。枅掃員や森林保護䜜業員。トルコは公務員だっおめちゃくちゃフレンドリヌなのだ。ひずりで歩く山道や修道院もずおも玠晎らしかった 䞀晩䞭台颚ずたでは行かなくおもなかなか匷い雚だ 

半島走りバルケスィルBalıkesir〜バルピナルBallıpınar

芳光地ずしおは無名のこの半島を走っおみたら面癜そうだ。それに海を芋おみたい。ロヌカルな持村や峠道を楜しんで最埌は芪切な青幎ず出䌚った。 ハカンから毛垃をいただいた。これから䜓隓する厳しい寒さぞの助っ人ずなるか。 ちなみにちょっず倧きすぎたの 

車でワヌプむズニクIznik〜バルケスィルBalıkesir

10kmくらい走ったずころで雚が降っおきた。ガ゜リンスタンドを発芋しお雚具を取り出そうずしたらそこでご飯を食べおいた人にお茶に誘われお同垭。そのたたその人の借りおいる家に泊たらせおいただくこずになった。その堎所が150km近く離れおいたのでその人の 

むズニクの人々むズニクIznik

むズニクのアダ゜フィアで金曜瀌拝に参加。むズニクを埌にしお西ぞず向かった。やっぱりトルコは地域の人ず仲良くなりやすくお楜しい。今日はオリヌブ蟲家の方の空き家に泊たらせおいただいた。 泊たったモスクの倩井はこんな感じ。 朝ごはんにスヌプずパン 

トルコ人のおもおなし魂に救われるオルハンガズィOrhangazi〜むズニクIznik

トルコの家庭料理をご銳走になり、次の町での泊たり先を予玄しおもらい、道䞭ではお茶や軜食をご銳走になり、最埌はガ゜リンスタンドのモスクで泊めおもらった。トルコ人のおもおなし粟神にたくさん救われた1日だった。倧倧倧感謝。すごい。

ちょっずお茶でも飲んでけよダロノァYalova〜オルハンガズィOrhangazi

10kmちょっず挕いでたどり着いた町でお茶に誘われ、玆䜙曲折あっお宿たでお䞖話になった。たくさんの人ず蚀葉の意味も分からぬたた笑顔で挚拶を亀わした。党然進たなかったけれどずおも良い日だった。 朝10時、挕ぎ出す。お䞖話になったレストラン。オヌナヌ 

救いの手はい぀もすぐそこにむスタンブルİstanbul〜ダロノァYalova

むスタンブヌルを出発。船で南に枡っお少し走行。道路沿いに建っおいたレストラン内で寝袋を敷かせおいただいた。 䞍枬の事態がいく぀か起こる。怖くなったりむラ぀いたり焊ったり、なかなか楜しむ䜙裕が持おない。こんな心地で旅をしおいたら心身が持たない 

カメラマンむスタンブルİstanbul

自転車で䞀緒に旅した仲間たち。圌らがセルビアで出䌚った人に元気にむスタンブヌルに着いたこずを報告するための写真を頌たれお撮った。圌らにはたくさんお䞖話になったので少しでも恩返しになったら嬉しいず思う。 自分の持っおいるレンズ本のうちの本 

共に旅する未来むスタンブルİstanbul

新しく刀明したこずをダシルが話しおくれた。 「トルコ囜民は倖囜人を泊めおはならない」 え。。。。 曎に、アパヌトの隣に䜏む人が譊察官か぀アパヌトの倧家さんで、圓然がくの存圚も把握しおいる。なので昚日、ダシルたちに眰金ずしおなのか「このたた泊め 

ガラガラの郜垂を歩くむスタンブルİstanbul

午埌からひずりで歩いた。垂民は終日倖出が犁止されおいる。結局6時間くらい歩いおゆっくり芳光できた。街は本圓にガラガラでお店は閉たっおいた。景色をゆっくり眺めるこずができた。 「歩いお写真を撮る」ずいう単玔な動きを積み重ねおなにかに到達したい 

おやすみむスタンブルİstanbul

ほが䜕もしおない。お䌑みみたいな1日だった。写真は2枚撮っただけ。 昚日はパヌティの埌そのたた圌らのアパヌトに泊たった。起きお昌頃にダシルの家に戻る。カメラのバッテリヌは切れおいたので街䞭の写真も撮っおいない。 垰っおから昚日の倧量の写真をち 

クルムは矎味いむスタンブルİstanbul

ダシルがもう䞀぀のオンラむンテストを終えた埌、スモヌルトリップに連れ出しおくれた。最初は䞀番でかいモスクのアダ゜フィアに連れお行っおくれる぀もりだったけれど、自分がこの埌誕生日パヌティにいくこずを䌝えるず、たたスマホで䜕やら怜玢しお時間に 

心匷いガむドたちむスタンブルİstanbul

昚日、むンシヌルが蚀っおいた通り、午埌からむスタンブルの䞀郚を案内しおもらった。地元の人の案内付きで芳光できるなんお本圓に莅沢だ。ずおも良い日だった。 ハンディずダシルはデゞタルメディアを専攻しおいる。なので、自分のこのブログに写真をアッ 

トルコ人の前で「ギリシャコヌヒヌ」ず蚀っおはいけないむスタンブルİstanbul

終日ダシルの家で過ごした。 今日からトルコでは平日倜ず土日終日の倖出芏制が始たった。倩気は雚だったし、゜フィアを出おから今日たでの感想の蚘事を曞きたいので良いタむミングだず思った。 再びのロックダりンで今埌の旅の芋通しがさらに䞍透明になった 

ペヌロッパずアゞアの境目むスタンブルİstanbul

3人のいるアパヌトを離れお新しい滞圚先に移った。3人ずは゜フィアを出発しおからの3週間を䞀緒に過ごした。3人はずにかく良い人たちだった。䞀緒に旅しながらいろいろず助けおもらった。が、やっぱり仲間の郜合に合わせおいるず金銭的に぀らいのず、自分で 

ひずり歩きむスタンブルİstanbul

クルヌむが孊校の課題提出のためにパ゜コンを䜿わなければならないらしく、貞しおあげた。 自分はお金を払わずにい぀たでもアパヌトに居させおもらうのは悪い気がしお嫌だったので、新しい滞圚先を芋぀けた。前の村で出䌚った人の甥っ子さんの家だ。 そっち 

パヌティナむトむスタンブルİstanbul

昌間はマヌケットやモスクのあたりを歩いた。 新しいアパヌトがなかなかの広さだったので、レオナルドが旅の途䞭オヌストリアで出䌚っおここむスタンブルで再開した友達やらレオナルドがカりチサヌフィンで繋がった人やら先に到着しおいたベルギヌの2人やら 

アパヌトを移るむスタンブルİstanbul

゚アビヌで新しく郚屋を芋぀けおそこたで歩いお移動。移動がおら歩いお街䞭を芋孊した。ほんの1時間歩いただけだけどいろんな景色がだヌっず目の前を過ぎ去っおいった。 自分はお金が払えないので、もう支払いが必芁なずころには泊たれないず䌝えた。3人は自 

むスタンブヌルに到着ブナクセクメセBÃŒyÃŒkçekmece〜むスタンブルİstanbul

ずおも芪切だったおじさんのお店を埌にしおむスタンブヌルの真ん䞭たで走った。どんどん景色が倧郜䌚になっおいった。車の亀通量が増えお自転車道がなくおずおも走りにくかった。゚アビヌで予玄したアパヌトでみんなで泊たった。 むスタンブルの䞭心に到着し 

小さなお店のおじさんに助けおもらうシリりリSilivri〜ブナクセクメセBÃŒyÃŒkçekmece

16時の出発になった。4人の仲間の䞭の2人が恋人同士で、圌らの内でちょっずしたトラブルがあったようだ。2人の話し合いが終わるたで埅っおいたらこんな時間になった。こんな颚に仲間の郜合に合わせお動くこずもある。 23km走っおすぐに暗くなる。呚囲のホス 

凍ったノァキフラヌルVakıflar〜シリりリSilivri

凍った。 荷物も凍った。 昚晩は寒かった。手持ちの寝袋぀。でもうっすら冷気が流れ蟌んできた。眠れないほどではない。でも぀いにきた。手持ちの装備の限界。地味にショックだ。地味に䞍安だ、ここからさらに寒くなっおくる季節。どう乗り切ろう。 昚晩出 

歓迎ムヌドリュレブルガズLÃŒleburgaz〜ノァキフラヌルVakıflar

トルコでは通りがかりの倖囜人を普通に面癜がるような颚土がある気がする。歩行者の前を通り過ぎるずきに笑顔や挚拶のゞェスチャヌを向けおもらえる確率が高い。 この日ははじめおちゃんず村人ずコミュニケヌションをずったが、村人の茪の䞭に入れおもらっお 

誕生日の歌を日本語で歌えないザズリデレSazlıdere〜リュレブルガズLÃŒleburgaz

ベルギヌの2人の日課の䜓操をみんなで。 村のモスクをバックに 地元の人たち。お茶を淹れおくれおいる。わざわざポットずカップをもっおきお。 圌らは昚晩みんなず盛り䞊がっおたらしい。自分は寝おいた。 みんなで集合写真。 ありがずうございたした 走り