HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

自己紹介

田島寛久(たじまひろひさ)と申します。1988年東京生まれ東京育ちの天秤座です。

みんなにはヒロと呼んでもらっています。世界中の人に自己紹介する時もHiroです。これが一番気持ちの良い響きです。どの国の人にも簡単に覚えてもらえるし、時々「ヒーローみたいだな!」とか言ってもらえて、実際ヒーローに憧れている自分としては何気ない深い喜びを味わえるし、世界中に「ひろ」がっていくようなセルフイメージを持てる。そして何よりもう、そのまんまこれが自分の本名であり、両親も真剣に考えてこの名をつけてくれて、小さい頃からずっとヒロって呼ばれてきたのでしっくりきちゃってますね。だからこうやって名乗って覚えてもらうのがいちばんです。

このブログに来てくれてありがとうございます。

自分の力不足でこんな無料のブログでちゃちな設定しかできていなくて、表示は遅いし広告があるし見た目もしょぼいし、自分の資産にならないとかなんとか色々難があってこれを自分の本拠地とするには心許なさすぎるのかもしれません。

でも中身は自分の人生のまるごと全てを注ぐつもりでやっているので、それをわざわざ見にきてくれるということ、本当に嬉しく思います。

この記事では初めての方はもちろん、すでにぼくのことを見知っている方にも改めて自分が何者で、どこに向かっているのかを伝えることができればと思います。

 

ぼくは世界を旅しています

ぼくは旅をしています。自転車にどっさり荷物を積んで、自分の足で行ってみたいところに行って、現地の気の合う人と話したり、助けてもらったりしながら、大体いつでも写真を撮ってます。

この旅での移動は主に自転車。平たく言えば自転車旅をしている旅人なのですが、歩き旅でも良いと思っているからよく手押しで歩いています。「人力で移動する」ということが興味の中心なんですね。自転車についても全くの素人だから自転車が好きで繋がってくれる人をがっかりさせるだろうなあと思ってます。苦笑

人力の移動は旅費の節約になるし、車みたいに速くはできないけど自分の好きな速度を選べるし、その国の「素の部分」のような場所にも行きやすいし、面白がってくれる人もいるし、そこから人との交流も生まれやすい。良いことはたくさんあるなぁと思っています。

反面、いろんな場所に行くのにすごく時間がかかります。200カ国以上旅行していろんな美しい景色を見てきた人からは「なにが楽しいの?」なんて尋ねられたことがありますが、やっぱりそこはぼくの興味の中心「人力で移動すること」なんですよね。大半の人が嫌がるかもしれないようなことを自分はむしろ嬉々として求めて生きています。「変態」って言葉がこういう人間のことを指すのなら、むしろそれはぼくにとって褒め言葉です。笑

今のところは「安宿にすら泊まれねぇわ」と思っちゃうくらい稼げてるお金は少ないので、毎晩無料で安全にキャンプ泊ができる場所を探しています。そしてそれが毎度自分にとって旅の大きなイベントになるから、見ている人からすれば「ちょっとゆるいサバイバル」みたいな旅なんじゃないかなと思います。

この旅をいつまで続けるのか、それはぜんぜん決めていません。ただ、ものすごく長く続けたいと思っています。ひょっとしたら死ぬまで続けるんじゃないかなと思ったりします。まあでも先々のことは全然わからないから、とりあえずは少なくとも10年間、2030年くらいまでは続けたいなあと思うし、そんな予感がします。

その期間、できるだけたくさんの場所に行きたいですね。全カ国行けたらすごいなぁとか想像してます。まあでも、旅先についてはむちゃくちゃこだわっているわけではないので仮に日本に戻らなければならないような何かがあっても、ぼくはこの生き方が好きだから日本で旅を続けていると思います。

ざっくり言うとまあそんな感じの旅なんですが、これがねぇ、なんて言えば良いのだろう、もちろん楽しいのだけど、一言じゃ言い表せないですね。辛い時とか、イヤんなっちゃう時とか、つまんない時もいっぱいあります。でも、いつも旅してきた時間を振り返ると「やったなぁ、おれ」っていう満足感を感じてます。これが本当に幸せですね。本当に。やっぱり旅で人生を全うしたいなぁとよく思います。「やりがいがある」って言う感じなのかもしれません。

 

好きなことをやる。

ぼくはいろんなことを考えていろいろ拙く書いたりしているのですが、結局のところはこの、すごくありきたりな言葉を、はじめて将来のことを考え始めた時からずっと指針にしていて、ここにどれだけ純粋になれるかってところに挑みながら生きているように思います。ここには色々書いてありますけれど、とりあえずそのことだけを、ぼくの真ん中にあるものとしてわかってもらえればそれで十分だと思います。

 

友達の言葉がきっかけではじまった

自分の中ですごく大事なことなのでぼくがこうなったきっかけの話をします。

こんな旅生活もいざはじめちゃうともう「好きなことをやる」だけなのですが、もともとのぼくは「好きなことがなんなのか分からない」という感じの人でした。旅する前は知的障害者のヘルパーだとかフリーランスでフォトグラファーだとかをしていたりもしたのですが、これもはじめは好きなことをしているつもりだったけど、でも自分の感覚が更新されていくうちに「なにか違うなぁ」と悩むようになりました。

そんな折に、おせっかいな友達から「お前は走ってどこへでも行け」とそそのかされました。アバウトすぎて困りました。更には「南極とか行ったらどうだ?」とか素っ頓狂なことを言われてもっと困りました。でも、散々自分の頭で自分のことを考えたけどもう手詰まり状態だったので彼の言う通り、南極に行ってきました。本当にいろんな人の助けを借りて。

旅先では本格的にひとりで野ざらし状態になって本当に怖かったけれど、色々な人に助けていただいて、そのおかげで大きな気づきがあって、それでもまた悩んだりもして、右往左往して、結局はやっぱりこの命を「好きなことをやる」事に使っていこうと腑に落ちて、今日の旅に至ります。

すべてのはじまりとなった友達のおかしなひと言はやっぱりずいぶんいいかげんだったと思うのですが、今にして思えば、彼の見ている世界とか、発するその言葉の響きとか、むしろ「いいかげん」だったからこそ、頭で思考して追いつける理屈とか理解とかの次元をはるかに超えて本当のことっぽく感じていたのだと思います。この、頭の次元を超えるということは今もずっと大切だと思っていて「走ってどこへでも行け」をスローガンに今日も地球のどこかを走っています。「人力で移動する」ということが興味の中心なのはここが始まりです。

ちなみに、その友達は2021年に42歳で亡くなりました。いつ、どこで、どんな形になるのか皆目分からないけれど、また会うその時までには、心赴くまま、この世界を走って、どこへでも行って、訪れたところを記した地図を作って見せてやりたいと思っています。けっこうウケてくれると思うので。笑

遠い未来の楽しみです。

 

お金をどうやって稼ぐのか

なんにも見えてなくたって歩けば道ができてくる。人生そういうもんだって信じています。だから本当にやりたいことをやってちゃんと生きていけるって信じています。そしてひとりひとりにその力はあるって信じています。現実見りゃそうも言ってられないことだってたくさんあることは想像できるから、こんなこと言ったってただのファンタジーでしかないかもしれない。それでも、希望が湧き上がってくるファンタジーはそのまま生きる理由になる、すごくすごく大切なことだと思っています。

なので、お金ってテーマは自分にとってそれを本当に体現できるかどうかの一つの勝負の場のように捉えています。

もともとぼくは旅しながら稼ぐ手段なんて持ってなかった。だから「稼げないのにどうやって旅なんて続けるんだろうか」とすごく悩んだ。悩みすぎてそれはもう周りで気にかけてくれる仲間にすら迷惑をかけてしまうくらいナーバスになりました。

で、結局、ここは自分がいちばん理想的だと思う方法を設定することにしました。

投げ銭です。

旅して記録を残す。この生き方まるごと全部をぼくの表現活動として世に捧げるつもりで、このブログの下部に「良かったら投げ銭ください」というお知らせと窓口を載せています。

ちゃんとした商売でもないので、人々にはいろいろな受け取られ方をされるでしょうが、その中にはこの「表現活動」を喜んで受け取ってくれる人もいるかもしれない。更にその中には喜んで「投げ銭」を送れるという人もいるかもしれない。そういう人からありがたく受け取ってこの長い旅を生き延び続けていく。これはつまり、ぼくはただ好きなことを、他人を犯さずに続けられるということ。それができたらなんと最幸なことだろうと。

形としては単純すぎるくらい単純なのですが、それ故に実行するにあたってたくさんの葛藤はあったし、今も「これが完全な形ではないだろう」と思いながら続けています。

現状、1年間旅して主にこの「投げ銭」のおかげで無事にこの生活を続けてくることが出来ました。ここに乗っかってくれる人からはあたたかい応援の気持ちも寄せていただいています。本当に、本当に、ありがたいことです。

現在の所持金とこれまでの収支を公開しています

これは↑で書いたようにお金ってテーマが自分にとって「勝負の場」のようでもあるから、せっかくなら記録に残しておきたいと思っててやっています。同時にこんなへんてこりんな人間にわざわざ大切なお金を送ってくれた人に対してそのお金がどのように流れたか報告したい。あとはこんな生き方をするとどんなふうにお金が巡るのか気になる人にとっての参考になるのも良いと思っています。1年目は収入36万円、支出30万円でした。数字にすれば簡単ですが、ここには本当にたくさんの人からのお助けがありました。本当に、本当にありがたいことです。

 

いつも助けてもらい、それが一番心に残る

基本金銭面で油断できないので、限られた中で長く、快適に生きられるように工夫してます。工夫、といってもまあやることはほぼシンプルで、周りの人に助けを求めてます。ほぼ毎日、なにかしらで誰かに助けてもらっています。いや、実際助けてもらってない日なんてない。

いちばん多いのは眠る場所です。ホテルは愚か安いホステルでも利用すればこの長い旅を続けていられないので、キャンプ用品を使って安全に野宿ができる場所を探しています。いつも初めて訪れる場所だし何もかもがわからない。だから現地の人に安全で迷惑にならずにテントを張れる場所を尋ねます。言葉が通じないことがほとんどなのでGoogle翻訳にたくさん頼り、ボディランゲージを多用します。

相手にすらされないことは少なくないですが、良い場所を教えてくれる人、むしろご自宅に泊まらせてくれる人、仲良くなってくれて、ご馳走してくれたり、素敵な場所に案内してくれる人もいます。

現地の人からすればぼくは突然現れた小汚い余所者です。特に具体的な見返りもなさそうな貧乏人。それでも関わりを持ってくれて、出会えたことを楽しんでくれたり喜んでくれる人がいる。なんなんでしょうね、ぼくにとってはやたらそのことが奇跡のようにありがたく感じられるんです。だからここがいちばん鮮明に残る思い出になって、ブログに書くこともそういう話が多くなります。

世界各地の名所とか聖地とか勉強になること諸々ももちろん素晴らしいのだけど自分が嬉しい瞬間はそういうところが大きいので、むしろ「世界中に挨拶回りしてる」と、銘打ったら良いんじゃないかとすら思う時もあります。仮に手元に十分なお金があったとしても、こうして人に声をかけ続けるんじゃないかなあと思っています。

反面、自分が勝手に「好きなことをやる(=旅)」を実践したせいで他人に嫌な思いさせることになれば自分がすごく気持ち悪くなります。なのでそこはすごく気にしています。

でも、しばらくやってみて感じているのは、ぼくのような人間相手には基本、誰も無理をしないということです。

迷惑に思う人はそもそも関わってこないし、助けてくれる人もそれぞれ自分が無理なく助けられる分だけ手を差し伸べてくれます。助けてくれる人の中には、この奇妙な出逢いを楽しみ、手を差し伸べることを喜ぶ人も少なからず存在する。自分と波長が合う人と繋がっていくんだなぁと実感しています。何をしていようと、自分を表して生きていればそんな繋がり方になっていくのかなぁ、嘘偽りの必要ない、本当に気持ちの良い人間関係だと思っています。

 

辛いんだけどたぶん、楽しんでる

およそ想像されるであろう辛いことはもちろんあります。

全て人力での移動なので単純に疲れます。誰ともまともに会話できなかったり、眠れる場所がぜんぜん見つからなかったり、何日もシャワーを浴びることができなかったり、服の洗濯ができなかったり、食べるものも贅沢出来なかったり、寒かったり、暑かったり、雨ざらしになったり、雪で滑りそうになったり、人並みに孤独を感じて寂しくなったり、etc。

多くの人が心底嫌になるくらいの大変な目には色々あっている気はします。でもまあ自分はその辺もひっくるめて旅だよなあと思えるくらいには大丈夫です。

これはたぶん、ぼくの心身とか性格とか魂とかの特性なんだと思うのですが、そういう種類の辛さを軽く捉えることのできるタイプなんです。これは今思えば少年の頃からその片鱗はあったと思いますね。

体力面もまた、短距離走は遅いがマラソンは得意なタイプ。持久力こそ我が真骨頂、みたいな感じなので、これまたゆっくりとした長い自力での移動まるごと全部を楽しんでいます。

 

このブログについて

申し遅れましたが『地球まるごといただきます』というタイトルのブログです。深い意味とかは無くて、響きがまとまっているのと、「なんか自分っぽいなぁ」と感じてこんな名前にしました。言うても地球って「まるごといただく」にはちと大きすぎるなあと思う今日この頃です。

このブログでは日々体験した出来事や心に浮かんだことを日記のように記して更新しています。

旅することと伝えること、どちらも欠かさず続けたい。でも両方とも時間をかけようと思えば無限にできます。うまく書こうとしすぎたら旅ができなくて本末転倒だし、書かないでいたらせっかくの貴重な体験も流れ去っていく。限りある時間の中でちょうど良い配分を模索し続けているところです。

現状、1日につき1記事以上書くことにしています。毎日安定して電力やネットのある環境に居られるわけではないし、自分の調子にもムラがあるので本当に毎日更新するは難しいです。だから後からまとめて毎日分の記事を更新しています。

内容は本当に日記なので、旅行ブロガーのようにお役立ち情報の類を読み易くまとめているわけではないし、旅行記として見ても読み手に楽しんでもらえるような凝った編集もほとんどないので、自分で書いてて「こんなつまらない旅行記もないだろなぁ」と正直思います。アクセス数は1日100も行かないです。毎日記事を1本以上、100記事まで続ければアクセス数伸びるとか言ってる本があったけどあれ嘘ですね。笑

旅があってのブログなので、まずは旅をメインに。ブログの方はメモだと割り切っています。ほんの少しの質でも良いから最低限のことが伝わるようにしておく。0点ではなく1点以上を積み重ねる。それさえ続けていればいずれ何かにつながるような予感がします。という、さらっとざっくり言うのですが、何かに繋げてくれるという人をいつも募集しています。

 

旅の目的、ゴール

特にありません。「え、要ります?」って感じです。旅することそのものが目的なので、強いて言うなら毎瞬がゴールじゃないかなぁと思います。

先々楽しみなことはあります。なんかすごいことに気がつくんじゃないかという予感がしてます。これまたアバウトですみません。でも今の自分程度では想像もつかないくらいくらいのすごさですね。何にも具体的じゃないんですが、ぼくはこういう予感を大切にすることにしています。

片鱗だけでも言語化するつもりで書くとそれは「思い込みから離脱する」ということです。旅する前は「こんなことしたらすぐに死ぬ」と思ってそれはもうめちゃくちゃ怖かったです。でも始めてみたら存外そんなことはなかった。楽じゃない暮らしだけど年間30万円で色んな場所に行けてたくさん友達ができた。むしろ日本にいる時の方が毎月何かの支払いに追われて危なかったんじゃないかというくらい。笑

他にも保険とか年金とか給与とか安心するためのいろいろなシステムから抜けることは怖かったけど、いざやってみたらそんなことはない。むしろより一個の生物であるという当たり前だけど忘れられたような事実に近づけるような感じがします。日本国民とかどこどこ県民とかなにかに所属している人である以前に、宇宙に無数に存在する星々の中の小さなひとつに生きるひとつの小さな生物でしかない。その前提に立てば色々と不安に思えた生きる方法はいろいろ見つかってくる。それがワクワクするんですよね。

そういうことを発見して記していきたいなあ。

 

生きることが仕事

ぼくは「この世界に義務など存在しない」と思うくらいに自由だと思っているのですが、「それでも、これだけはやらねばならんぞ」と、自分で自分に対して「仕事」と称して課していることがあります。

「生きること」です。可能な限り無事で、幸せに、長く。

これは自分のためというよりも応援をしてくれている人に悪い思いをさせたくない(という自分のためか笑)というのが大きいです。なのでこれを自分の中で「仕事」として設定することでより気をつけるようにしています。

新しい場所に行くことよりも、良い写真を撮ることよりも、良いこと書くことよりも、貴重な体験をすることよりも、生きる。

ただ、どんなことも100%ではないというのが自然の摂理だと思います。ぼく程度のちっぽけな存在がどんなに気をつけていたって、可能性は絶対に0にはならない。

だからぼくのことを応援してくれた人、これから応援してくれる人に対してはあらかじめ伝えておきたいことがあります。

それはただただ、ぼくを助けてくれてありがとう、ということです。

ぼくはこの旅をする前は本当に危険な状態だったと思います。無意識のうちに好きなことをやることに蓋をしてモヤモヤがたまり、ストレスが頂点に達し、大切な人を絞殺してしまいそうになったこともあります。

今になってわかるのは、好きなことを我慢していたら結局、自分を害し、すなわち他人を害するをのだということ。だからこの、好きなことをやる生き方に協力してくれているということはぼくのこともぼくの周りの人も救ってくれているということだと思います。心から感謝申し上げます。

 

で、結局、この生活をどう思っているのか

やっぱり楽しいです!最高ですね!大満足です!

いやーやっぱり良いですね。もうこれ、天職とか天命とかじゃないかとすら思います。良い人生生きさせてもらってるなぁーと度々思います。もうこれ以外に取り組むことなんて思いつかない。幸せを今生きているんだろうなと思います。

そら笑えない日が続くこともあるし、生活ひとつひとつがうまく行かなくて「何やってんだろおれ」と虚しくなるときもある。

でもやっぱり、苦労とかもぜんぶ含めて面白いですね、なんかこう、こういう趣味なんでしょうね、なんかもう魂レベルでそういう性質なんだろうなあと思います。とにかくずっと好きなことをやるを追い求めた結果こうなっていて、そして今もなおその追求は現在進行形で続いています。

その結果、仮に次の瞬間死んでしまったとしても悔いはないです。死ぬ時の心境なんて生きてる時にはわからないけれど、それでも想像すると、この旅を「やってよかったなぁ」と思えて、この人生に納得して逝ける気がします。この旅暮らしと、そこに至るまでのこの一生の流れ、そのまるごと全てを愛おしんでる予感がします。

 

補足

時代は大きく変わっている時

補足程度の話なのですが、ぼくが一つの心の拠り所にしている事なので一応言っておきます。

こんなことができる理由は時代がそのように変化してきたということにも助けられているようです。

自分は生まれた時からずっと世の中の情勢なんか全然知らずに生きているような人間で、全ての情報は信頼できる友達からの又聞きでしかないし、自分の身をもって確かめている最中なので、分かったようなことを書くのはやめておきます。(たぶん、不特定多数の人が読む文章で、よりも一対一で会話するような時にそういうことを話すのが良いんだと思います。)

今はただシンプルに「好きなことをやる」を重ねるだけだと思っています。

 

こんなご時世だからいちおう

どの国でもコロナで話題は持ちきり、いろんな人から体調を心配されることもあります。コロナが始まった時からぼくは旅をし始めているのですが今のところ一回も体調がおかしくなったことはないです。風邪をひいたりお腹を壊したりしたことはありましたが。

情報が溢れかえって何が真実なのかはっきりしない。そういう時ほど自分の直感に従います。その結果みんなが異なる答えになって構わない。自分の場合、ワクチンは打たないことにしています。本当に自分は元気だから。でもこれは海外旅行においてはかなり不利な選択になってきています。

特に国境を跨ぐ移動の時、入国時にワクチン接種証明の提示を求める国はだんだん増えてきています。接種していない場合は安くない料金を支払ってPCR検査を受け、陰性であることを証明しなければならない。

正直コロナって実感がない。自分の体調はずっといつも通りだし、何度か受けたPCR検査ではいつも陰性。旅先の国々の人々はみんな決められた場所以外ではできるだけマスクを外そうとしていたり、正直なところ昨今の状態って大きな権力の作為的なものを感じてしまうので、できるだけその仕掛けには乗らないつもりでこの選択をしています。まあ、あくまで全部自分の勘による選択です。万人に通じる一つの真実を追い求めるよりも自分にとっての真実を選ぶことが健全。そんなつもりでやってます。

 

過去の自己紹介を見れるようにしてみました。