インシャーラー(Inshallah 神のおぼしめしあらば)
「インシャーラー、午後はお出かけしよう」
「インシャーラー、明日はオンライン学習会をやるよ」
エクレムアービーはいつも英語でコミュニケーションをとるけれど、未来の希望の話をするときは必ず「インシャーラー」をつける。
全ての出来事は神様のはからいで起こっている、というムスリムの世界観での表現。
自分も言うようになった。インシャーラー。
マーシャーラー(Mashallah 神が望まれたこと)
「自転車でここまで走ってきたんです」と自己紹介をすると時々それを聴いたムスリムの人は「マーシャーラー」と驚いてくれる。
何かしらとても素晴らしいと感じたことがあった時にマーシャーラーと言っているような印象だった。
普通に素晴らしいと言うよりも神様のミラクルを感じながら感嘆する感じ。これも覚えた。マーシャーラー。
二つの言葉を組み合わせて
インシャーラー・マーシャーラー
「未来で素晴らしいことがありますように」という感じになると、これはトルコで出会ったエクレムアービーに教えてもらった。インシャーラー・マーシャーラー。
エクレムアービー(Abi=トルコ語で「兄さん」の意味、年上の親しい男性への敬称)のメドレセには、結局18泊もさせていただいた。2週間以上、こんなに長くなるとは思わなかった。ありがたや。
この期間、溜まっていた作業に取り掛かる他にも、今の自分のきっかけとなった人の訃報が入って、追加の作業が入って、予想外の展開でここまで滞在させていただいた。
エクレムアービーが「必要なだけここにいても良いよ」と言ってくれていたおかげで甘えさせていただいたのだった。本当にありがたや。
邪魔するわけでもなく、放って置くわけでもない。
エクレムアービーはその辺りのバランスがもう絶妙で、いつも穏やかに微笑んでいて、一緒にいて居心地の良い人だった。
「イスラームを理解し、信仰心を持っていると心穏やかに生きることができるんだよ」と常々話してくれていたその言葉通りの在りようだったように感じた。
毎朝と夕方、ご飯を作ってくれて、そっと呼びに来てくれる。ずっと作業のために部屋にこもっていたらそっとしておいてくれつつコーヒーを淹れて持ってきてくれる。どこかに出かける予定があると「もし、行きたければ」とこちらの選択をキープしながらお誘いしてくれる。オンライン学習会にもおなじように誘ってくれる。
何かにつけて伝えてくれたイスラームのものの考え方はとても共感するところがたくさんあり、これから旅する中でもたくさん役に立ってくれる予感がする。
特に、「全て神様が創ったものである、全ての出来事は神様の思し召しだからね」という前提の感覚が濃くなったことで、アクレムアービーの言うとおり「心穏やか」でいられるような心地がする気がする。
それもまた、エクレムアービーのような心穏やかな人が伝えてくれたからだろうと思う。
寝食のことだけでなく、大きな素晴らしい影響を与えてくれて感謝です。ありがとうございました。
インシャーラー、またお会いしたいです。この世にいるうちなのか、はたまたヒアアフターか、そして自分はエクレムアービーのようにパラダイスに行けるのか、何もかも神様のご意志だろうと思いますが、インシャーラー、私はまた何処かでお会いし、この時のことやこの後のことを語らいたいです。
インシャーラー・マーシャーラー🙏
学習会で使っていた英語の本。サイード・ヌルシという人が書いたクルアーンの解説書。この人の書いた本の量は半端じゃない。
毎食分作ってくれた食事のおかげで身体は本当に元気でいられた。
ずっと泊まらせていただいたお部屋。快適としか言いようがなかった。離れ難し。。笑
〜〜〜〜〜
この日は何かを進めるというよりも、長い時間をかけて、故人の提唱するグラウンディングを久々にやった。
自分の解釈での書き方になるけれど
両足をちょっと開いて膝を軽く曲げる。地面からの反力を感じやすくなる感じ。
丹田を感じ、感覚がハートまでつながる。
頭の中で考えることは神様(ユダヤの神様=キリストもイスラムも同じ。厳密な定義はしてない)に預ける、空っぽになる。
やっているうちに故人の言っていたいろいろなことを、当初よりも深い理解と新鮮な感覚を伴って、思い出してきた。
頭じゃないんだ、身体なんだ、ハートなんだ。
全身全霊なんだ。
ぼんやりと深く味わっていた。
明日、出発します。