訃報が入った。
亡くなったのは自分が旅するきっかけとなった人。
自己紹介の記事の後半初めあたりに書いてある「そもそもの始まり」の話というところ。
「お前は走るために生まれてきた身体だから走れ。」
と直感からの言葉を伝えてきた人。
その言葉はそのまま旅する理由の根幹となっている。
ぼくが今取り組んでいることは全て彼の助言が始まり。
それだけではない。この旅を始める前
カメラマンとして自営業をやっていた頃
まだ学生だった頃
様々なタイミングで自分の人生に現れ
一冊の文庫本くらい書けそうなくらいたくさんの影響を残していった存在
その人の急逝をこの日、知った。
悲しいとか、寂しいとか、そういうのがないわけではない。
けれど、それ以上に、あの人であれば生前のいつもの笑顔とサムズアップを向けながら「引き続き、お前のやることをやれ」と未だ元気づけてくれている気がする。
身体の不自由な人だったので、むしろあっちの世界に行ってより自由に動き回り、こちらの世界の友人たちにも次々訪問して「どう?」とか声をかけて回って元気に過ごしていそうな気さえする。
しばらく直接会えない場所に旅立っただけ、長い時間かもしれないけれど、いずれ自分もそっちに行く。また会える。
自分の気持ちは存外めちゃくちゃ普通だった。
というか、あれだけ関わった上で他界しても、残った側の自分に、こんなにさっぱりとした感覚で居させてくれる彼の在り方ってすごい、と妙な部分で感心していた。
とはいえ、今の自分のきっかけとなる存在の訃報。
この日は心にぽっかり穴が空いたような脱力感と、風邪気味のコンディションで何もする気は起きなかった。
時折、生前の彼の孤独な時間を想像したり、亡くなった状況を思い浮かべたりして、胸がつまった。
この日は、ロンドンのユフスアービーとの朝の学習会に同席。エクレムアービーが変わらず作ってくれる朝夕のご飯を食べて、気が楽になれる動画や音楽と共に過ごした。
エクレムアービーは風邪気味のぼくのために、アダチャイやオレガノ、松とレモンのお茶を作ってくれた。ナチュラルな良い味だった。この写真しか撮っていない。
静かに過ごしながら、自分の中の何かが、これまでと大きく変わる予感を感じた。