HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

出発前にご挨拶(Meknes مكناس)

明日、メクネスを出発するので、その前にユスフとベロニカにも挨拶をしに行くことにした。なんたってこの十日間の貴重な休憩のきっかけを作ったのは彼らである。

ユスフとベロニカは引き続き同じ建物に滞在していて「私たちの村へようこそ!」と定住したような気分の挨拶を浴びせてくれた。ユスフの淹れてくれたお茶を飲みながらアブドとワリッドの家でとても良い時間を過ごしたことを伝えた。ユスフは嬉しそうに笑っていた。

それから近所のカフェに移動してみんなで同じテーブルで作業。ここはユスフの友達が経営しているということでちょっと高いにもかかわらずドリンクをサービスしていただいた。合掌。

オンラインでの活動を主軸に生きるデジタルノマドたち。

そして写真右のユスフはサハラの遊牧民アマーズィーグの家族に生まれ20年間遊牧生活を生きたリアルノマド。僕とは次元の異なるタフな環境で育ったであろう彼と並ぶと自分にもノマドなんて呼称がついて良いのか疑問になってくる。

ユスフはぼくのここまでの旅の中において、英語でコミュニケーションの取れるたった1人のアマーズィーグ。この時を好機と捉え、彼からアマーズィーグについていろいろ聴かせてもらった。

印象に残ったことをちょっと抜粋。

ヒロ「政府とか観光のサイトを調べててもだいたい「ベルベル人」って書かれてるのを見たけど、「ベルベル」って呼び方をアマーズィーグの人々はどう思ってんの?」

ユスフ「けっこう人によってバラバラだね。すんなり受け入れている人もいれば、嫌う人もいる。「ベルベル」は歴史上はじめてこの民族につけられたオリジナルの名前ではある。でもそれは当時敵対関係にあったローマ人による命名であり、その由来は「訳の分からない言葉を話す者」という意味の「バルバロイ」。だから後々になってから、ベルベル人自身での呼称、「Free man(「自由の人」という感じだろうか)」という意味の「Amazigh 」と名を改める運動が始まったという経緯がある。現状、ではアマーズィーグと呼んだ方が丁寧さやリスペクトの念は伝わると思う。

 

ヒロ「モロッコではまずデリジャが公用語で、モロッコ全人口の30%のアマーズィーグは母語であるティフィナグを話し、第一外国語としてフランス語が普及しているわけだけど、どんな風に言葉を覚えていくの?」

ユスフ「僕の村ではみんなのやりとりはまずティフィナグ。そしてここがやばいと思うんだけど、小学校でいきなりデリジャで授業が始まるんだよね。もちろんぼくの村でもそうだった。言ってることが何にもわからない子が少なくない。そこからなんとかデリジャを覚えていく。デリジャはアラビア語にティフィナグが混ざったものなんだけどそれでも全然違うから大変だよ。

そして大学から、今度は完全にフランス語に切り替わる。授業もテストも全てフランス語。大学入学までの公教育のカリキュラムにはフランス語なんて一切ない。もし大学進学前にフランス語を本格的に学ぶなら独学かプライベートの塾のようなところに行かなければならない。ぼくももちろんこの言語の接続に苦労した。独学で猛勉強だよ。ちなみにモロッコ政府の発表によると2030年から第一外国語を英語に切り替える。これでまた混乱すると思う。これがねえ〜本当に問題だと思うよ。」

ティフィナグの文字を使うためのアプリをダウンロードしてもらった。

このアプリをインストールすると。

キーボードの設定画面の中にティフィナーグが追加されて他の言語と同じように選択ようになり

文字を打ち込む時にも選べるように。

全てのティフィナグ文字はローマ字のアルファベットに対応しているということだけれど、まあ〜どれがどれだかわからない!

という私のために、対応表はこちらです。普通のアルファベット以上ありますね。発音がわからない。

ちなみに、アマーズィーグの人々は日常生活の中ではほぼローマアルファベットを使っていて、ティフィナグ文字は地名を道路標識に記すとか、建物の固有名詞とか、象徴的な、オフィシャルな、用途くらいにか使われないようです。

ユスフからは他にも色々なフレーズや旅先で見てきたものの名前を書き文字で確認したり、文化的なことも教えてもらった。これから南の地域を旅していくことになるのでその時に本物を拝むことができるだろうから、その時に彼から授かった知識と共に本ブログでも紹介していきたいと思う。

ユスフは1年間の旅をした後は政府の役人になるそうだ。前のめりに学ぶ姿勢燃えたぎる男。とても前向き。ジョークも大好き。きっとベロニカとの旅でもUSA在住15年以上仕込みの、言いたいことはガンガン言ってく圧力に押されてもケロッとしてる。ぼくの日本の写真を見ながら日本の説明を聴く時にはその表情には全く異なるものを理解するのに真剣な神妙さがあり、日本の言葉もいくつかトライしてくれた。彼を見ていると日本で見た学生起業とかに取り組むようなエネルギッシュな大学生を連想する。

ロッコの社会的に教育システムに難はあるかもしれないけれど、それでもその難を突き破って学ぼうとしていく人間が社会をより居心地良くしていくのだろうなと、彼を見て想像した。

国外へ旅に出るということも、おそらく同年代のモロッコ人の中ではほぼ皆無と言って良いくらい少数派だろうと思う。そもそも難しい。自転車で少しだけ走って見てきた壊れかけの家の前で裸足でかける子供達やヒッチハイクできる車を待つ女性達、声をかけても「金よこせ」とジェスチャーしてきた少年。学びだとか視野を広げる経験だとか言ってる場合ではなくまず衣食住を整えるのだ。という気配が濃く漂っているを感じる。

そんな中で広く世界を知ろうという志が湧いてくることは社会レベルでの希望なのではないかと思う。

彼とベロニカの一年間の二人旅のプロジェクトが後々、世界にもたらすものの壮大さを想像した。

ぼくは彼らにドネーションを送った。

これはイギリスで最も印象深い出会いとなったレベッカがぼくに託してくれた50ポンド(8400円)。もちろんモロッコや彼らがこれから旅する国々ではでは換金しないと使えないものけれど、ポンドならわりと広い範囲で両替できるような気がするし、ぼくはクラウドファンディングサイトの手数料がいつも鬱陶しいと思っている派なので、直接会えるなら直接渡すことにした。

ドネーションを渡すモチベーションとしてはもうちょっと書いておく。上述の社会とか世界とかしちめんどくさい諸々もまあそうっちゃそうなんだけど、もっと大事にしたのはそれをひっくるめた「なんとなく、そう」という感じである。「そうだから、そう」という感じ。

お金を渡すということになると、この旅を始めるきっかけとなった亡くなった友人を思い出す。彼は生前、笑って何かに挑戦する人間には何も考えずにポンポンお金を渡していた。自分だっていつも全然お金がないのに。それでも「大丈夫か?」と尋ねても「どうでも良いんだよ」の一言で片付ける。遠慮なく言ってしまえば阿呆。

でも、その阿呆こそが、ぼくにとって最高の生き方なんだと芯の部分で確信しているのだと思います。