HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

メクネスのアパートの若者達にお世話になった件(Meknes مكناس)

1日同じカフェで作業。またひとつ別のデスクワークを思いついて、さらに数日分泊まる期間が長くなりそうだったところだけど、滞在させてくれているアブドとワリッドにとってはぼくが13日の朝に出発できると都合がよろしいらしく、作業は明日までをキリとした。

13日に出発するとしたら3日からの10泊11日もの間お世話になったことになる。モロッコでは旅行者滞在期限の90日間でも周れるところは限られているからどんどん先に進んでいくつもりだったのに、予定よりもずいぶんゆっくりした。

今日の夕食。今日も二人の友人、ご近所のレドゥアン(写真上)も一緒。

明後日には出発することになったので、ここまでの彼らの話を書いておきたいと思います。

アブデラマン(アブドと呼んでいる)は近所のアルミニウム製品の製作所で働く25歳。彼の笑顔からは安心感を与えてくれる社交性が滲み出る。

獣医を志す学生の22歳のワリッドはクール。彼の雰囲気の方が自分のイメージの中での典型的なアラブ人。そしてクールそのままのテンションでよく気遣ってくれる。

ちなみワリッドには今通っている獣医大を卒業した後の婚約者がいて、よくビデオ通話をしていた。ぼくもちょっと挨拶した。頭をスカーフで覆った美人さんだった。お世辞じゃなく本当に。スマホ越しでも写真撮ればよかったぜ。ちっ。

アブデラマンとワリッドの二人はアマーズィーグ(Amazigh「ベルベル人」という名前で広く知られる人々の自称)の出身で母国語は「ティフィナグTifinagh」というアマーズィーグの言語。その他はモロッコ公用語であるアラビア語ロッコ方言のデリジャDerijaとフランス語を話すことが出来る。

彼らとぼくの習得言語は全くかすりもしないので、コミュニケーションは完全にGoogle翻訳アラビア語を使用。特にアラビア語から他言語への翻訳は意味がずれやすいのでずれないような単純な文章を打ち込むのに頭を使う。何か用があるときは30秒間程、スマホに黙々としばらく何かを打ち込み出来上がりを待つ。普通の会話の一言で30秒間というのはとても長く感じられる。静かでスローなやりとりである。それでも必要なことや楽しめることは積極的に会話してくれるというのが彼らのオープンマインドさを物語っていると思う。

住環境としては眠る場所、シャワー、トイレ、キッチン、普段の自分の暮らしからは眩しいほど有難い日常設備完備。彼らが普段寛ぐリビングルーム的一室をマイルームとして使わせていただいた。

滞在期間中、彼らはずっと食事を用意してくれた。

テーブルに着くたびに必ずお茶。高々とリフトさせてコップに注いでいくのがモロッカンスタイル。

お茶っぱは薄い緑茶のような味わい。必ず砂糖が入っている。自分はモロッコに入る前はお茶にもコーヒーにも砂糖など入れない主義だったけど、こっちで過ごしているうちに砂糖入りが美味しいと感じるようになりました。染まりやすい男。

朝の仕事で8時ごろに起きてくるアブドはぼくが起きていることを確認すると片手を口元に持っていくジェスチャーで「食べる?」と確認してくれて近所へホブズ(アラビア圏のパン)を買い出しに行って戻ってくる。それからチーズとバター、オリーブオイルを用意して簡単な朝食。

パンにつけるものって、今まで行った他の国ではジャムとかチョコとか甘いものをつける方が主流な印象だけど、モロッコではもっとシンプルだなと思った。でもホブズ自体がほんのり甘いから結構ちょうどいい。それと、何気にこの甘いお茶がパンと一緒に食べるのにジャムのような甘味担当の貴重な戦力になってくれる。

昼過ぎまで眠りこけていた時はいつもその時間帯くらいに起きてくるワリッドがやっぱりホブズを買い出しに行って戻ってきてオムレットを作ってくれたりした。

こんな風にオムレットをホブズをつけます。

カフェに入り浸って作業づけのジャパニーズワーカホリック全開のところに15時ごろとか17時ごろになるとワリッドがインスタグラムで「お昼作ったけれど食べる?」とメッセージをくれるので家に戻る。

アブドシェフバージョン

ワリッドシェフバージョン

タジン鍋はじゃがいもゴロゴロ、中心部にはラム肉や鶏肉や光り物系の魚。そして嬉しいことにパクチーまで乗っている。やっぱりスプーンもフォークも使わずに素手で行きます。

ガミラはモロッコではタジン鍋とツートップで一般的な料理。

じゃがいもや肉、玉ねぎやトマトにクミンのようなスパイスをかけてかかってます。これもホブズとよ一緒に食べる。

食後にはフルーツ。柘榴、りんご、バナナの継投でフィニッシュです。幸せや。。

都会のメンズ二人暮らしのキッチンセット

ずっと腹を満たし続けてくれたシェフたち。

二人とも夜21時くらいからカフェに行ってサッカーのテレビ中継を見に行って、夜遅くに帰ってきた時にはついでにおやつを買ってきてくれた時もありました。

食後は二人とも「Ahidus(ティフィナグで「歌」という意味)」という民謡をよく口ずさんでいました。マントラのような揺らぎの声にお皿やテーブルのドラムでリズムをとる。心地良い振動が残ります。

以下に音声と写真を味わえる動画をドロップして起きました。

タイトルにある「ait atta」というのはアマーズィーグの中でも5つに分かれるグループの中の彼らの民族の呼び名だそうです。つまり「ait atta」の歌。

他にも、アマーズィーグのおすすめアーティストや今は亡きレジェンド級の楽器奏者を紹介していただきました。

こちらがそのレジェンド。Rouichaといいます。演奏しているのはロタールLotarという名前の楽器です。

それ以外は基本こんな感じで、スマホで誰かと通話したりインスタのリールを眺めていたり、都会っ子です。それから21時くらいになるとサッカーのテレビ観戦のためカフェにゴー。日を跨ぐくらいまで出かけているようでした。

彼らからはずっと良くしてもらったという印象しかないのだけど、たくさん会話を交わしたのかというとそうでもない。話すことがなくなると彼らは自分達の言葉で何かを話して楽しんでいたし、食事時以外は自分達の寝室に入ってずっと何か談笑していたし、サッカー観戦には自分は同行しなかった。

ぼくは日本にいる時からたくさんおしゃべりしたいタイプではなく、だんまりしていることの方が多く、この滞在期間中はただ休みたかったり作業していたかったり瞑想をしていたかったりで、彼らのその距離感はむしろちょうど良く感じた。

けれどやっぱり気遣いは所々でしてくれる。はっきりと聴いたわけではないけれど「旅行者は弱い立場にある」ということをよく理解してくれているように感じる。プリント屋さんに行く時もカフェに行く時も、お金を余計に請求されないか心配してくれた。「この家を自分の家だと思って」「困ったらなんでも言って」「お金はどうか使わないで」と念押ししてくれていた。

彼らの家に転がり込むまでの自分の衣食住はちょっとハードな野良状態で、お腹を壊したり子供達に金品を奪われそうになったり気候にちょっとやられて体調を崩していたりコンディションはなかなかに悪かったので、本当にこんな人達がいる場所に滞在することができて心の底から安堵することができた。自分より10歳くらい年下の若者達のおかげ様で回復。次の出発に向けたファイティングポーズも取れるようになった。ありがとうございますとしか言いようがない。

こんな貴重な時間が過ごせたのは彼らと出会わせてくれたユスフ(↓写真左の青年)のおかげでもある。なんの前触れもなく街でいきなり声をかけられる。実際に旅した実感としてはありそうでなかなかないことです。

さらに写真3枚

家の鍵にはアマーズィーグのマークをあしらったキーホルダー。

コーランも置いてあります。

アブドは1日5回のお祈りもやっていました。