ブログをついに今日まで持ってきた。内容を充実させることを捨てた。後からでもブログを書けるように毎日メモしているのだけど、もう数日以上前のことを改めて書くにあたってそれを読み返してもリアルな気持ちが湧いてこなかったり、頭でこねくり回しただけの変なことを書いているなあ、これブログに載せたくないなあと思ったり、でもだからといって書かないのはその時のリアルな自分の姿を見せられなくなってしまうし、結局その日のことはできるだけその日のうちに書くのが一番良いという結論に至った。だから今日までのことはもう一旦リセット。くらいの勢いでここまで進めた。
で、良かったのはその後。頭の中でずーっと「やらなければならない、けどなかなかできない」と思っていることがなくなって清々しくなった。背筋が伸びて視界が開けて身体が軽く感じる。
「ああ、これが頭じゃないってことか」と納得した。
ブログの内容の充実は捨ててしまって読み物としての質は低いかもしれない。けれど質を追い求めすぎて苦しくなって本末転倒状態だった。自分はよくこうして「やってもやらなくても良いこと」を「やらなければならない」と無意識に設定して苦しくなることが多い。その設定から離れて、重荷になっているところを下ろす。
「やらなければならない」状態に浸かっている時には見えなかった可能性に目が開けてくる。とにかく清々しさ。「何かをしてもいいし、しなくてもいい」の状態ゆえの清々しさ。清々しくいられるのであればいろいろと良いことが舞い込んでくる。
ああ、この気持ちよさにいられるかどうかを中心に据えないとな。写真を良く見せること以上に、美しい文章をしたためること以上に、素晴らしい観光地に行く以上に、この気持ちよさにいられてるか?ということを今まで以上にみていることができる。
今日まででこの作業期間は自分の中で一区切り。これからの旅にも繋がる大事なことを全身レベルで感じることができた。
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ベリアの中央広場にはTULIPというコーヒースタンドがある(8月3日に行ったところ)。ここはアントニスの行きつけのお店で、友達の店主パンテリスはコーヒーに情熱を持っているぼくと同い年のナイスガイだ。
ここのギリシャコーヒーを飲ませてもらったらこれはもう格別だった。びっくりした。すごすぎた。ギリシャコーヒーって、あまり香らない、味もボソボソっとした印象があったのだけど、ここのギリシャコーヒーはいい豆をドリップした時のアロマや味の深さが洗練されていてもう美味しいのなんのってすごかった。
そしてパンテリスはぼくにコーヒー豆をプレゼントしてくれた。嬉しすぎる。。
開けると香りがすごい漂う。イスタンブールから仕入れたそうだ。「ポリティコ」という名前だという。
そんな朝のベリアでのひととき。
マリアさんにサルマダキャを調理しているところを見せてもらった。葡萄の葉っぱにご飯を巻く前の段階。
ちょっとだけ映像
この時葡萄の葉っぱを味見して初めてわかったのだけど、葡萄の葉っぱって酸っぱい。ご飯とこの爽やかな酸味がマッチするからサルマダキャは美味しいのだ(最初に食べた時に気付くのが普通)
ネギと玉ねぎをオリーブオイルで炒める。
水に浸したご飯を入れる。
パセリの葉っぱも加える。あとは火を止めて水を足してご飯をふっくらさせる。何気にこっちのご飯の炊き方も覚えた。これでぼくも旅先でサルマダキャを、、作れるかな。
一階の工事にやってきた人にもコーヒーと特製クッキーをお出しするホスピタリティね。
オレスティス。オレちゃんと心の中では読んでいる。
夕方になって突然アントニスの叔父さんのリフテリスさんがコーヒーに誘ってくれたので乗っかる。
リフテリスさんは全然英語は話せないのでいつもほとんど話さない。周りに英語ができる人がいたら話せるけど基本話さない。
カフェの様子。卓を囲んでトランプの大富豪をやってた。親近感が湧く。
夜はエヴァがチーズ入りオムレットを作ってくれた。美味しいです😊