気持ち悪い。とてもとても気持ち悪い。
昨日の食べ物が鳩尾のところでストップして止まっているのがわかる。
トイレを使わせてもらうが便は完全液状になっていて出量が少ない。
胃の中のものは吐き出してしまいそうな気持ち悪さだ。
何かに当たってしまったか?
昨晩の晩御飯は大丈夫だったと思う。
ビールか?その前にもらった水か?
バルカン半島でこの体の反応は始めてだ。
横になっても辛い。
胃の中のものが逆流しそうだ。
ずっと家の外のソファに座らせていただいていた。
泊まらせてくれた家のお母さんは朝食を用意してくれたのだけど
お腹の調子が悪いとジェスチャーで伝えると
心配していろいろ持ってきてくれる。
お腹に良いというミルク、何かの錠剤。
が、どちらも正直欲しくない。
水だけで充分だ。
自然回復が最善の療法だと思う。
病気というのは身体がペースを崩しているということ。
普段は一定のリズムを刻んでいる身体。
そのリズムが崩れたから元のリズムを取り戻すためのプロセスとして
痛くなったり、気持ち悪くなったり、苦しくなる。
その苦しみをなんとかしようとあれこれ手を出すことは基本的に必要ない。
身体には自分で元のリズムに戻る力が備わっている。
速攻で治療なんて考えず時間をかけてでも休んで回復を待つのが最善だと思う。
家の人には
「まだ居ても大丈夫なら、ただ休ませて欲しい」と伝えて座らせてもらっていた。
家に住み着いている子猫がすぐそばでのんびりしていた。
そして、ついにきた。逆流。
トイレに駆け込んで嘔吐。5回。
辛かった。涙目になった。
が、これも身体が自分のペースを取り戻すプロセス。
おかげでかなり楽になった。
まだ休んでいたかったけれど
家の都合的にもう出ていかなければならないらしく、
荷物をまとめて出発した。
いやもう、大変お世話になりました。
急に体調崩して申し訳ないです。
家の門に向かって歩くところ。広い畑だ。
昨晩最初に辿り着いた、家の隣のカフェにて。真ん中のお父さんと右端のお母さんがご夫婦で泊まらせてくれた方々。いろいろご心配いただきありがとうございました🙏
出発。
が
頭が痛い。身体に力が入らない。
まだ完全に体調が回復していない。
昨日、新しいサンダルで歩きまくって靴ズレも地味に痛い。
10mくらい歩いてその度に立ち止まり自転車のハンドルに額を乗せてゼエゼエ息をする
休める場所を見つけたい。
カフェでも、レストランでも。
給水所さえあればそのそばにテントを張ってもいい。
が、全然現れない。
これはまずい。先のカフェに引き返す。
店にいたお父さんに「休みたい」と話すと
村の診療所を開けてくれた。
ここは定期的に医者が訪れて村の人の診療を行う場所。
普段は空き家なので誰も使っていない部屋を使わせていただいた。
診察台に寝袋を敷いて寝転がる。とにかく休めば回復する。
先程のお母さんが「あんたやっぱり具合悪かったの?」という具合に様子を見に来た。
体温計を差し出された。
いや、これは熱とか風邪じゃないんだな。
自分でなんとなくわかる。
が、説明する気力もないのでとりあえず脇に挟む。やっぱり平熱。
奥さんは医者を呼ぼうと提案するが
「それは本当に必要ない」と頑張って断って眠らせてもらった。
おれの身体は時間さえあればちゃんとできる子なんです。
午後2時から寝て、起きたら日がかなり傾いていた。
体調はかなり回復していた。
よし、やっぱり、大丈夫😊
お母さんが晩御飯を持ってきてくれた。今度は美味しく食べられる😊
スープの中にはチキンが入っていた。ししとうのピクルスもチーズもさっぱりしてて美味しい😊
ビールもいただきました。ビールに罪はない。うん。身体も大丈夫だと言っている!
カフェのWi-Fiを使って作業でもしようかなと思えるくらい回復していたけれど、
眠りたい気分だったのでさらに寝た。
今日は完全に、休みの日だ。休み。
身体が正常に反応してくれていると感じる。
危ない時は危ないとサインを出してくれる。
悪いものを食べた時は吐き出してくれるし、
これ以上歩けない時はちゃんと気持ち悪くなってくれる
それを無視さえしなければ大丈夫だと思う。
というか、もう無視ができない。
これが日本の会社勤めとかだと、体調を悪くしても出社とかしていたのだろうか。
以前の自分ならそういう類の頑張りこそ正義だと思っていたけれど、もうできない。
元来、自分に甘い人間だ。
明日までになんとかしなければならない仕事とかあっても眠ければ眠ってしまうと思うし、身を粉にして頑張っている人を見ても「自分も頑張らなきゃ」とかほとんど思わなくなった。
「自分の身体最優先」が魂レベルで染み込んでいる気がする。
どんな在り方で生きていても、目に見えぬ大きな存在は人間の想像を遥かに凌駕するレベルの愛で抱いてくれていることを忘れずにいたい。
出発してすぐ戻って。移動は合計2kmくらいだったと思う。