HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

ビザと唐揚げ

きっと一定数の人には「ピザと唐揚げ」に見えたよねこのタイトル。意図せず錯視。


ビザの取得のためガンビア🇬🇲の大使館へ。

ちょうど日本人旅行者の男性と居合わせて、申請作業がてら少し話をした。アメリカの歩き旅やユーラシア大陸の自転車旅を経験されていて今はアフリカ大陸をバスで進んでサントメプリンシペ🇸🇹まで弾丸で旅行されるそう。自転車旅の時はゴミ袋に落ち葉を詰めてマットレスにしたという話はグッときた。

危ない危ない言われるマリ🇲🇱には意外と行ける。イラク🇮🇶とかアフガニスタン🇦🇫も意外と入れるらしい。ちゃんと旅したことがある人というのは日本人全体から見ればマイノリティであり、やったことがない人からすればできないことだらけに見えるわけだけど、こうしてやったことがある人の話を聴けば常識なんて全然わからないものなんだなと実感する。

ガンビア大使館

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ガンビア大使館の受付の女性はその日本人旅行者の方に日本のビザの取得を相談してきたらしい。その手の話題は自分も時々されるがルールが分からない。なんでも日本に住所があって15万円以上の収入があれば6週間分の招待ビザを発行してもらえるとかなんとか。へぇー。

書類を確認するガンビアのおじさんは三鷹国際基督教大学で2年間留学していたそうで、いくつか日本語を披露してくれてお好み焼きをまた食べたいと言っていた。そんな話をしている間に一緒に申請したその日本人旅行者の方とぼくの書類を間違える茶目っ気も披露してくれた。

ビザは3ヶ月分を取得。こちらで用意したのは①顔写真1枚②パスポート③35000セーファーフラン(≒8000円)④予約した宿の確認メール(プリントしてない。その場で大使館のメールに転送。予約はビザをもらった直後にキャンセルした)。写真は3年前にベトナムでものだったので髪も髭も生えまくった今からすれば別人のよう。受付の女性には明確に怪訝な顔をされた。国境到着予定の25日からと申請したはずが今日の日付け22日からになっていることに帰ってから気がついた。みんな良い人そうだったがいろいろガバガバでそこにアットホームな的な安心感を覚えた。

取得したガンビアのビザ

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ここの滞在も今日が最後。お礼にまた日本食体験を提供すべく唐揚げを作ろうと思いたった。唐揚げは今でも日本の子供の好物上位だよね?代表食って紹介しても良いよね?

スーパーまで材料の買い出しへ。中国産の「赤醤油」と「黒醤油」なるものがあって100円くらい安い黒醤油にしたけど赤のほうが馴染みのある美味しい味がする事に後から気がついた。スーパーの鳥腿肉にはどれも骨が付いている。日本のスーパーじゃ腿肉に基本骨はない。骨を避ける便利な機械があるのだろう。こっちじゃ骨は食べる時に避けるもの。少しだけ原子を感じられる。あと、骨つきで1キロ3760セーファーフラン(≒850円)って日本より高いよな。高いよな。片栗粉が見つからずスーパーを5周くらいした。買ってないけれど海苔は日本にもあるようなパックの寿司海苔が3000セーファー(≒700円)だった。高いよな。高いよな。

海外で日本食を作る時に一番困るのは材料集め。醤油、味噌、のり、昆布、わかめ、ほんだし、みりん、片栗粉、どこにあるかな、何を代わりに使うのかな、幼い頃から料理になんて興味を示してこなかったからそういう勘が皆無。なんの工夫もアイデアも湧かずに苦労している今。あの頃のおれに会えるなら言ってやるね、料理ができると楽しいよと。大きくなってから食通の仲間の近くで過ごせたことが救いです。

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レシピを何度も確認しながら慎重に調理した唐揚げは控えめに言っても大失敗。特に揚げ加減。片栗粉なしの小麦粉だけじゃ衣が貧弱。そしてパッドやキッチンペーパーを用意せずプラスチックのザルで油切りをしようとしたため油切れてない油だらけの唐揚げとなった。醤油とニンニクと生姜とマヨネーズによる味付けは素晴らし買ったので鳥の生姜焼きとか銘打てばまだマシかな、、?しかし一緒に食べたシェアメイト三人のうちの一人イスマエルは「これの作り方教えてくれよ」と感情の起伏抑えめに見えるけどハマってくれたようで嬉しかった。

できた唐揚げ

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この日、コリーナとジャカリヤは夕方から仕事の打ち合わせ(その予定を知らず唐揚げつくったオレ)ということで帰りが遅く2時に帰ってきた、こうなると彼らが起きるのは昼過ぎになるし自分としてはそんなに暑くなってから出発するより早朝が良い。夜にゆっくり話をすることも唐揚げを食べてもらうことも叶わなかったので、出発は24日の朝とすることにした。