HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

出セネガル、入ガンビア

セネガルの滞在は124日に及んでいました。どこのホームページを確認しても、日本国大使館に問い合わせてもビザ無しで滞在できるのは90日間までとのこと。

でもこれ、おいおい住むつもりで長期滞在したことのある人の多くは「半年くらい全然大丈夫だったよ」とか言います。

ダカールのジャカリヤ、コリーナ、イスマエル宅で1ヶ月間滞在して投稿書くことに集中してたのはジャカリヤが電話で現地の旅行センターに勤める友人に確認し「少なくとも90日間以上滞在しても大丈夫だよ」とお墨付きをいただき、半年間滞在経験者のジャカリヤからの「4ヶ月はいけるよ」という言葉を採用したからでした。

とはいえ内心ビビります。逮捕とまではいかずとも、罰金とか請求されたらお金託してもらってるのに申し訳なさすぎてずっと凹みそう。

大丈夫か。今日の出国はそういう山場。

申請者と係官を隔てるプラスチック版、指紋認証機、きちっと制服を着た警官。安心材料であるはずのちゃんとしてる感にビビる。渡したパスポートの入国スタンプを見る警察官の目がすごく険しく感じられる。眺めている時間もすごく長く感じる。次の動きがあるまでじーっと身構える。なんて言われる?なんて言われる?

そのままパスポートが差し出され、受け取った。

問題ナッスィーン!やったぜ!

地味に大きかった胸のつかえはとれました。具体的に何日までかはわからないけれど、124日滞在しても無問題だった日本人のケース(2023年5月)がここに一件。記しておきます。もし90日以上セネガルに滞在したい方はご参考までに。もちろんルールはいつでも変わり得るし係官次第で対応が異なり得ることなので気をつけて。

ガンビアのスタンプ

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というわけではじまりましたアフリカ大陸4カ国目、ガンビア🇬🇲。この国はマンディンカ語という土着言語が最もメジャーですがイギリスの植民地だったので公用語は英語ということになっている、とのことです。看板とか全部英語で書かれてる。

ざっと眺めた印象、セネガルよりも1段階時代が昔になったような雰囲気。家や建物の状態が悪かったり、ほんのりと何かの腐臭を感じたり。セネガルよりもゴミ山があったり、井戸が古かったり。

暑さは相変わらずすごい。マンゴーの木の下や店の前の屋根下でだらんと座ってたり寝そべっている人が多かった。

小さな子供達から相変わらず無邪気に元気良く「トゥバブToubab(白人)」と呼ばれ、そして二言目には「ギブミー」と言われた。子供と一緒にいるお母さんと思しき女性にも言われた。制服姿の少年少女達からも「ギブアス」。走りながらの会話が始まった8歳の自転車通学少年は 12kmを毎日漕ぐという「良いヘルメットだね」とか「良い腕時計だね」とか「ギブミー」のオチがが見え透いたことを言ってくるので「何もやれんぞ」と伝えるとさっさと行ってしまった。

出会い頭におねだりするスタイルってセネガルではタリベを除けばなかった。それにタリベはなんというか物乞いという行為であることを自覚しているので雰囲気が暗いが、ガンビアの人々はそれはもう当然のこととしてやってるような印象があった。

物がないなら乞うてでも生きる。似たようなことやってる身としては健全だなあと思う。彼らから受ける嫌悪感は物に不自由せず人のものをとってはいけませんと教わり受け取った、いわば洗脳された自分の反応でしかない。日本も敗戦直後は子供がアメリカ兵に食べ物をねだったりするような状態であったことを「裸足のゲン」で読んだことあったし、人間そういうもんなのかな。現代日本じゃ誰も頼れず孤立して心身を著しく崩したりするし。まあ頼る頼らないなんてどっちだろうとそれだけで良いか悪いかわかるもんじゃないけども。

ガンビア川をフェリーで北から南に渡って首都のバンジュールに入る。そのまま30kmほど走った。首都圏から離れると道路が狭くなり、大渋滞。通れそうな隙間を探って時に荷物が車体に擦れながら進んでいく。排気ガスの臭いがすごい。鼻腔や気管や肺にダメージが入りそう。

ジャカリヤに紹介されていた彼の従兄弟のエブリマさんという人と合流してお宅へ。一軒の家にたくさん兄弟が住まう大家族で、子供達がよく遊んでいた。長々と暑い中、緊張しながら走って疲れた。シャワーで汗と砂を流し、ヤッサという玉ねぎ炒めと揚げた魚を乗せたご飯をご馳走になり、水をいただけて生き返る心地がした。

自分の中でのセネガルの124日間は沈没期間だった。タリベのボランティア、大西洋横断作戦失敗、1ヶ月間の引きこもり、全然一人旅はしていない。その期間の心境は決して明るくはない。悩んで凌いだ。でもお陰様で自分のやっていくことをより深く掴めた感が大きく、ここまでの短い旅路で1段階登れた感があった。