HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

心が縮こまってしまう時

投稿がなかなかできない。今書いてるやつは自分の中の核心どころであるがなかなか上手く言えてこなかったテーマに触れるのでこれまで以上に手を焼いている。

なかなか作りたい物が作れない時は小さくなっていく。自分にはその力がないのではないか。自分はなにか見当違いをしているのではないか。限られた時間を無駄に使っているのではないか。

知っている旅人たちはどんどん先に進んでいく。知っている人の情報ではつい昨日、あのずっと張り付いていたセイリングクラブCVDにブラジルへ行く船が表れ、もう定員オーバーになったと言う。ずっと缶詰になんかなってないで毎日CVDに通い続けていれば見つかったかもしれない。タリベのボランティアに時間を使ってシーズンを逃し、5週間時間を費やした海賊船でエネルギーを消耗し、この家に1ヶ月缶詰になってブラジル行きの船を逃している。南米に行きたかった自分からするとことごとく采配を誤っている。それぞれの選択はその時の自分がやりたくてそうしたのだし、過去のことを悔やんでも意味はないというお決まりのフレーズを当然のように承知していても「やっぱり失敗だったのかな」と考え込んでしまう。

頭でわかっていたって心がイメージ通りに調子良くなってくれない時はある。胴のあたりがきゅーっと小さく萎縮して行くような感がある。効果音で言えば「ずーん」という感じ。頭が特に重たく、座っている時に項垂れやすい。首筋が無意識に緊張している。運動する気も起きない。無理矢理身体を動かしても気持ち悪さすら覚える。誰かと話をしていてもどこか上の空になる。書くことはぜんぜん進まない。長い時間旅が出来なくなっても書くと直感的に決めたにも関わらず、この書く活動自体自分に合っていない、間違いなのではないかと疑い始める。これからの旅に関しても、金が足りないなぁとか、道がガタガタで道具が壊れるなぁとか、天候やばいとか、元々アドベンチャー要素として楽しみにしていたことでさえ心配のタネになる。

出来事は全て中立だけど捉え方ひとつでポジにもネガにもなり、全てをネガとしてしか捉えられない今の自分は波動が下がっているということになるのだと思う。

運動だの瞑想だので自分が没入しているいろいろな前提や世界観、例えば世間一般の常識とかお金に対する厳しさとか想像で仮定しているだけの他人の反応とか、そういった自分で作出している自分に合わない要素を溶かしたり飛ばしたり消したり忘れたりすることがこういう時に出来ることだけど、まあなかなかうまくいかなかったりもする。今日がまさにそういう時。なので何も考えずに楽しめるゲーム実況動画を見て、飽きたらスマホを置き、出来るだけ五感に集中。空気が気道を通る感じ、お尻が床についている感じ、意識を下に置く感じ、自分の思う安定化につながりそうな動きを行っていく。

これから末永く続いていくのかもしれない輪廻転生の中、心の望ましくない癖に気づいて修正する。その繰り返し。同じ轍を幾度も踏む事もあろう。怖いことだとこの心は反応するがこのまま旅が終わってもいいし今生も終わっても実は良い。辛いことだとこの心は反応するが誰にも覚えてなんかいただけなくても愛していただけなくても実は良い。

どれだけ不恰好に見えても自分の中に眠っている珠玉のネタを少しずつ取り出すために今わたしはこの世で呼吸を続けている。1日0.000001ミリの進行でも良い。ただ「おれは自分を生きる」と抜け殻の言葉でも口で言うだけで良い。休憩するだけでも良い。進むための停滞や後退だってある。どれだけ惨めでも、自分はここにある。