HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

感覚一元化(Dakar)

物質がまず存在し、それがあるから感じられる、という物質世界の中を生きているというのが常識だけど、物質というものが本当に在るか、無いか、は自分の感覚というものを超えて客観的に確かめる方法がない(他人の意見も計測機器の類も必ず自分の五感やマインドを通して認識する)。なのでどちらにするかは自らの決めの問題になってくる。ここで無いを選択すると、自分が感じていることは五感も、思考も、感情も、物質が大元となって感じているのではなく、自分でただ感じているだけということになる。これをコントロールする主導権は高次元の大きな存在を含めた自分自身になる。

これまでの人生では五感的に感じるもの(実在する外側)と思考や感情(自分の脳内で発生する内側)は別物という前提で物事を考えてきた。例えば「自分の考えに閉じこもっていないで外の世界をよく見よ」とか「外の知識をたくさん吸収して学べ」とか「思いでは現実は変わらない、行動のみが真実だ」という考え方とよく出会ってきたし自分もそうでなければならないと思ってきたが、これらは実在するものと目に見えないものは別々だという捉え方がベースになっている。

物が無いという前提を採用し、五感的に感じること、思考すること、感情として湧いてくること、それから高次元で閃くこと、自分が受け取ることを全てをただの「感じ」として一元化してしまう。「感じ」は高次元→マインド→五感という順に伝わっていくので、その順番で現実がつくられていくイメージを持つ。すると、物質に左右されず、自分で動いているようであり大きな何かに動かされているような、自発的であり受動的であるような、手動であり自動であるような不思議な感じになる。自分の体感では場面ごとに異なる比率でブレンドされているので一律こうやって動くと具体的に決めて示すことができるようなものではない。確かなのはノーストレスでスイスイと進んでいく、ということ。逆にそう感じられない時は自分が物質世界の常識の中にフェードインしている時。

昼食どきにはみんなで、昨日のラクレットパーティの残りをいただいた。