HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

引き続き停留

セネガルの首都、ダカールにいます。前回(2週間以上前)の更新に引き続き、友人のお宅に泊まらせていただいています。蚊帳付きベッドを貸していただいて快適です。セネガルは夕方以降どこもかしこも蚊だらけ、寝てる時にざっと蚊帳を確認すると10匹以上は集ってくるので蚊帳、もしくはテント必須です。

この友人はご夫婦で、ふたりともものすごい親日家、いずれは日本語を本格的に学びたいと言っているくらい。そのきっかけは漫画。いろいろな漫画に手をつけているけどその中でのナンバーワンはやっぱり『ワンピース』のようで、ぼくのことを「NAKAMA(仲間、この漫画を通して海外に普及した)」として迎えてくれています。御飯時にはふたりしてしつこく「食べろ食べろ」とお節介を焼いてくれたり、2人のお出かけ先に連れていってくれたりしています。自分は自分で彼らに日本人が経営する日本食レストランで売られていた日本酒をプレゼントしました。

この2週間はずっと止まっていた旅の報告を再起動させ、3本アップしました。ほぼ毎日丸一日書くことに時間を割くことができる中、そんなにめちゃくちゃ長編の文を書いているわけでもないのにこのペース。前々からですが自分は究極的に遅筆だと思います。それでももう2週間ほど、この家に滞在して投稿文の作成に集中しようと思います。

ほとんど缶詰状態なのでぜんぜん旅っぽいことをしていない。でも、なにもしてないならしてないなり良いこともある。それは目に見える結果へのこだわりを手放してただ自分の感覚だけを辿っていくことの大事さを思い出し、より確信に強固さがあること。

タリベのボランティア先で自分に無力感を感じたり、5週間雑用に時間を費やした船を降りたり、アメリカ大陸行きのシーズンを逃し、自分の思うように旅が進まないことに落ち込んでいた。

それに対してこの期間、対処すべき外側の要素が激減した状態、要するに課される仕事が皆無のまま安全に居させてもらえる状態に身を置き、全てをリセットするような意識で過ごしました。

特に何もしなくても良い。報告を書く事すらやめても良いし、そもそも旅すら辞めても良い。そのくらいゼロから考えた。そのおかげで何気にちゃんとできていなかった瞑想で自分のリズムや呼吸を感じることに徹し、やはりこれまでどおり、旅の報告を書いていこう、と動き出すことができたのでした。

もともと無気力みたいな性分である自分にとって旅というのは頭や手足を使って対処しなければならない事象が多く忙しくなりがちだし、投げ銭頑張って稼がなきゃという心配よりの暗い意識にもハマりやすい。こういう自分の感覚ではない事象全てを便宜的に「外側の世界(本当は内も外もない)」と定義していますが、この、外側の世界に没入すると、自分が持つ本来のスピード感やリズムを忘れていきます。自分が目指したい方向としてはこの自分本来の呼吸を保ったまま生きることなのですが、2月の初めくらいからの一連の出来事の中ではその点もうボロボロ。「いやぁオレ下手くそだなぁ」と実感しました。ぜんぜん楽しくなかった。

でも膿が出て良かったと思ってはいます。自分の思う悪い状態に気がついたら自分の思う良い状態へ修正しようと努力する。生きることはその繰り返しだけで、外側の結果がどうなるかは全然重要ではない。のだと思う。それは「結果を出すことから逃げているだけの言い訳」と一定数の世間から見做されやすい発想であり、自分でない誰かにわかってもらうことはほとんど無理かもしれないけれど、それも含めて全然オッケー。ロンリネス上等。自分のやることをやろう、という感じです。

友人のお宅で過ごす予定の残り2週間も引き続き旅の報告の作成を主題としつつ、こういうマインド的な部分の進捗に目を向けていたいと思います。