HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

運動で支配から逃れる(Dakar)

自分にとって作業をするということはスマホやパソコンをネットに繋ぎつつ、文章を書くためにずっと画面と向き合う動作なのだけど、いややっぱりSNSYouTubeって曲者ですね。疲れた合間に見たくなってタップし、その瞬間に出てくるものに気を取られてしまう。すごく素敵な活動している人と自分を比べて落ち込んだり、ストーリーに惹かれるアニメや漫画やゲームや落合博満のインタビュー動画を眺めてしまったり、脇道に逸れる逸れる。誘惑いっぱいツール。よくできてますよこれは。最初はアプリが悪いと思っていたけどこれはもうスマホそのものがそのように出来ている。

スマホ脳』という本にはこの機器が人間の脳を巧みに依存させるようにできていることを明らかにした研究があるそうだ。書籍を引き合いに出すならちゃんと読んでよく確かめた方が良いものなんだろうけれど、自分は断片的な情報だけで直感的に納得してしまった。これまで訪れてきた世界中、どこでもみんな暇な時は動画を見ている。大人の影響もあるのか、子供だってめちゃくちゃ興味惹かれてるし、あまり身体が動かすことの出来ない人達の娯楽やコミュニケーションツールもスマホが主流。みんな大好きスマホと言っても過言じゃない。

極端な考えであるのだろうと思うけど「みんながみんな好き」というものはきな臭い。それを作っている人は大儲け。「それ無しでは生きられない」という認識を作り出すことで主導権を握る。支配が可能になる。陰謀論臭いがぜんぜんあり得る話だと思ってしまう。

バイオハザードRE:4』の実況プレイ動画を見ていた。このゲームのストーリーはサドラーという私設の教団の教祖が人々を自分に心から幸せな気持ちで従う信者に仕立て上げるいうトンデモな寄生虫を世界中にばら撒こうとするのを食い止めるというものなのだけど、こうしてスマホを眺めて気持ちの良いコンテンツに流れていく自分はまさにサドラー様に囚われているとハッとしたのでした。「やべぇ、サドラーだ」を合言葉にスマホ没入からエスケープ。

スマホ脳』にはスマホ依存の解決策として運動があげられている。自分の分野いきなりキタ。たしかにそれもイメージしやすい。スマホ没入で頭に偏った意識を身体に散らし支配から脱却し個に戻る。たぶん五感を駆使して創作するような活動全般有効じゃないかと思う。亡くなった友人のシルバードラゴン氏も生前はぼくにひたすらランニングを進めてきたのだけどそういうことだったんだなと納得できる。特に今自転車移動がないから意識的に運動しておく方が良い。

かくして、家から歩いて5分で到着できる砂浜へ。ここではセネガルのスポーツマンが裸足でランニングしているので彼らにまじって45分間走り込んだ。砂浜は良い。地面に体重をかけると砂がザフッと崩れて身体が沈むのだけど、これが足裏から根を下ろすようなイメージがしやすく、普段から重要視しているグランディングに繋がる感じがしてとても気持ちがいい。逆にちゃんと地面に根を下ろすイメージを持つくらいしっかり体重をかけないと進みにくい。コンクリート以上に良い運動だと思う。

運動をしているうちに、これが自分の一番良い時の状態だという理解が生まれる。金や社会から認められることやそれによって生存することが必要だからデスクワークを行っているようなところがあり、そこに直結しない運動は二の次になってしまうのだけど、いやいやむしろ逆。運動こそが自分作りの第一歩であり、そして運動こそがゴールであると言ってしまっても良いくらいのものであるという感想をこの時に抱いた。

砂浜。

砂浜にたどり着く前に見える立派なモスク「Mosuque of Divinity」。

ジャカリヤ買ってきたサンドイッチにオムレットを加えて差し入れしてくた。ありがとう!