HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

発信どうするよ問題(Dakar)

今はとりあえず、カーボベルデに行くまでの期間を手伝いで凌いでいくとして、まだ自分には片付いていない問題がある。ブログの更新が止まっていることだ。

旅をしながらこれを書き続けていくということを決めていて、張り付けている口座からお金をいただきながら旅を継続しているのでこれが資金源ということにもなる。旅先で出会う人の99%くらいには分かっていただけないのだけど、自分にとっては自分の職業くらい大きなことだったりする。それが現在、続けようか続けまいか宙ぶらりんになって止まっている。

船の仕事が忙しいわけではない。船長とのやりとりはストレスがかかるけれど、ぼくのプロジェクトがあることは理解してくれていて時間が余っていればそれを進めることを推してくれたりもする。

ただ、自分はこのブログを続ける意味が分からなくなっていた。流石に自分の写真や文章では伝わらなさすぎるのだろうと思う。ここまで続けてみての反響を自分なりに感じてみてそう思っただけなのだが、芳しい反響がないということは決して良いものではないのだろうと思う。

そんなクオリティのもの毎日更新するなんて文字量だけがとんでもないことになり、そんなものは誰も読まない。読んでもらえるとしても他にもっと素晴らしいコンテンツが山ほどあるだろうに、こんな拙い自分語りを読むことに時間を取らせて申し訳なくなる。つまらんことを書いていないでタリべのボランティアでも行った方が良いだろう、みたいな。

かくして別のやり方を模索するべきだと思っているのだけど、明るいアイデアはない。最低限の記録として動画も写真も一応収めてはいるけれど気合が入っていないので見応えはないだろう。

継続的に旅をするために発疹が不可欠だった自分としてはこの状態の八方塞がり感はものすごく強く、重い鉛が身体中に埋め込まれたようなずっしりとした心地でいた。要は全然元気がなかった。やることが与えられて単純作業で体を動かせるのはいくらか楽になれるのだけど根本的なところはずっと重いまま。

空いている時間はテントの中で座って深く息を吸って吐いて瞑想して、という過ごし方で何度も視野が狭まっている自分の頭を柔らかくしようとしている。どんな結果でも構わないとか、恐れてることは全部幻なんだということとか、問題とか悩み事は全部自分で作っているだけとか、確認していくのだけど心の底から楽しくなってくるようなブレイクスルーにはならない。

昨日酸をつけたワークショップ床を仕上げの掃除。

ロニーが焼くパンは本人は自信なしとしているけれど十分に美味しい。