HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

権利は必要なのか(Dakar)

「さっきインスタのポストで権利なんてものは本当に必要なのか?という問いを投げかけたんだ」と楽しそうに朝のコーヒーを啜りながら船長ロニーは切り出してきた。この海賊は哲学話が大好きなのである。詳しい話はまたよく聴き取れないのだけど、その問いだけで自分には色々納得できる部分があった。

権利というものは元を辿れば依存なのだ。為政者とか権力者から与えられて成立するもの。そして人々は常にその権利が保障されているのかどうかをウォッチしなければならなくなり、それは時として(というかいつも)他人や社会に対して変化を要求しなければならなくなり、対立、紛争状態が頻発する。

海賊を標榜する彼はきっと見えているのだろう、その土俵から降りてしまい、自立しきってしまうことが根本的な解決策であると。権力者がどう動こうと、そのコントロールの外側に立ってしまえば関係ない。みんな、支配から目覚めて革命を起こそうぜ、というところなのかもしれない。

まあ自分は彼ほど思い切って言ったりすることはできない。出会ってきた人たちの顔を思い浮かべてもそんなこととても提案できない状況にある人って多いから。でも、逆に言えばそれだけ依存せざるを得ないシステムが構築されているということは確かだと思う。依存は一概に悪いことではない。それが薬になる人もいれば毒になる人もいる、それだけのことなのだろうと思う。

自分の立場を正解としたくなる(自分の場合は土俵から外れること)ものだけど、そういう二択系の話は大体どちらも正解でありどちらも不正解。自分の心が本当に満足できる方を選ぶだけなのだろうと思う。

それはそうととても風邪っぽい。船底に溜まった水を掃除機で吸い出す作業をしていたのだけどしゃがんだり移動したり物を運んだりという動作の一つ一つが非常にスローになる。ロニーに正直に話すと午後から寝込ませてくれた。「生活スタイルが思い切り変わったから無理もない、頭で理解と体で理解は同じスピードじゃない、体がついてきていないのだろう」と休憩を促してくれた。昭和のスポ根なんか遠い昔のような合理性を備えた近代の海賊の配慮がありがたかった。