HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

没入から引く(Dakar)

「目に見える現実に没入しているからこの没入から引こう」と、海を見ながら座っている時に思った。

引くというのはもう半端なく引く。海から目に戻ってきて、目よりも奥に。そのまま脳の中心へ。それから上に向かっていく。天の果てまで伸びていく。というか、消えて別世界にいくという感じかな?すると普段から当たり前に現実だとして生きている自分の身体も含めたこの世界全てのリアリティが薄まる。自分が映し出して見ている幻とか夢である感をうっすら覚えてくる。

ここ1週間は特に落ちた気持ちになっていた。イメージしていた南アメリカ行きがかなり怪しくなったこと。SNSの投稿文が書けないこと。その前のボランティア先では何も役に立てなかった気がすること。アフリカ旅が金銭的に厳しいこと。こんなことを続けていっても誰の役にも立ちやしなくて、すこしも尊ばれることなく一生を終えるかもしれないこと。芋づる式にネガティヴになる要素を引っ張り出してきていた。

南アメリカ、投稿文、ボランティア活動、金銭、役に立ちたい誰か、尊敬の念、これらはこれまで生きてきた自分の捉え方の癖によって、生きている時間のうちに獲得し満たさなければならないと思い込んでいるもの。その思い込みが思い込みだということを忘れ、ガチの獲得ゲームに入り込んで一喜一憂に揺れる。自分はこの状態を「没入」と呼んでいる。

落ちてネガティヴになるのは現実に没入して一喜一憂の憂の側に激しく傾いているから。趣味でそうなる分には良いけれど自分はこうなるとほんとうに何もかもが楽しくなくやる気もなくなるのでできるならこんな感覚はごめん被りたい。

だから海を眺め、この没入している世界は現実ではなく幻なんだと感じられるくらい意識を後退させる事ができてとても楽になる心地がした。自分のペースキタ!楽しくなってきた♪という感じ。

旅をして経験を積むことも人と出会うことも写真を撮ることもそりゃ楽しくてやってるわけだけど、「それがなければ人生が残念になる」とか「それによって他人から認められる」という謎ルールを無意識に設定して没入するところが物心ついたころから自分にはあるよね。よくよく思い返すと。まあつまり、ただの癖でしかないのだから何度ぶり返してこようが引き続き地道に離れる練習をしていこうと思う。

1週間まあ何もできていないけど、そんなふうに行動の量が少なくなることによってこの大事な感覚を思い出すことができたのはとても大きい。このプロセスは人に伝えるにはあまりにも地味すぎてこうして書くことも憚られるくらいなのだけど、私的にはこれから先もずーっと取り組んでいきたいくらい大事であるからやっぱりとても大きい。物事の良し悪しは常に自分の判断に委ねられているというのは本当のことだろうなと思う。

チェブジェンに入れる野菜セット

都会の道端にも手作業の工事をしている人が結構いる。

眺めていた海の一部がわかめの味噌汁のようになっていた。

このカラフルなのはヤシの実なのだろうか。

仕事をしているアチール。海の場所を教えてくれたのは彼だった。ありがとう。