HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

アメリカかアフリカか(Dakar)

クリーニング屋に滞在しながら南アメリカに行くボートを運転する人が現れるのを待っている。この期間ほとんど暇で、ブログの記事を書き疲れたら受験生のようにフランス語の単語を覚えたり、瞑想みたいなことをしていたりする。こうやって書くとしっかりしていそうだけどその合間にだらんとしている時間もたくさんある。

この大陸に来る前はさんざん「アフリカに行きたい」なんて言いながら急に南アメリカに行きたいなんて言い出した。理由は単純にそちらの方が旅がしやすいから。

アフリカでの旅はビザの手続きや生活用品の物価高で費用がかかり過ぎるし、戦争やテロ、社会全体が不安定であるが故、アクセスを控えざるを得ない国(マリ、リビアブルキナファソ等)が複数ある。

自分のやりたいことは気ままに自分の足で移動することであり、行き先に大きなこだわりはない。行ったことがある場所よりは行ったことのない場所に行きたいな、というくらい。ならば一旦別の地域に移ってアフリカの社会状況が少しでも改善されるのを待つのが長旅を予定している自分に合っていると思った。

でもこの場所で特に何もしない静止した時間を過ごす中でそこのところを見つめ直しているうちに「別にどっちでも良いか」と思えてきた。

アフリカ旅を続ける場合、概算では1年間くらいは今の出費に毎月1万円は上乗せされる。自転車やテント、スマホにカメラにパソコン、ずっと使う道具にもガタが来て買い替える必要が出てくるかもしれないので多分それ以上になる。

正直なところかなり怖い。収入の希望であるSNS投稿文の方は全然更新することができてなくて、書くことに自信も無くなってくているし。

でも、だから良いのかもしれない。「人生まるごとうまく行くかどうかどうでも良い」という考え方を奥底で信じているけれど、こうして旅の失敗に繋がる可能性を思うとこの世の終わりであるかのような強度で怖くなったり緊張したりする。

どうでも良いはずなのに怖がっている。この矛盾、モヤモヤする。多分どこでどう安全に旅していてもこのモヤモヤは気になる。

このまま「金がなくても大丈夫」なんて宣っても中身がない。「取らぬ狸の皮算用」の逆バージョン。この矛盾モヤモヤは抱えたまま。そこと向き合うのに一番手っ取り早いのは実際に金欠になってしまうことだろう。だからむしろ出費が激しくなっていく方がありがたいのだろう。

「全ての出来事は中立」という考え方に憧れる。金がないことは良いことなさそうだけど、金がなければ人生オワリと言う思い込みを抜け出すチャンスにもなる。自分の受け取り方次第で広げられる可能性をさらに広げることができるかもしれない。実体験して確信できたら自分の中の根源的な部分がスッキリするだろうなと思う。

3月で南アメリカへ向かうボートはなくなり、次のシーズンが始まるのは9月だという。可能性が薄まっていく中で、アフリカ旅を続行するのもそれはそれでやりがいがあるということを思い直した。

昨晩泊まらせてくれたモルMorの奥さんのアミナAminaとその姪っこ

アフリカ人の髪質は多くの人がチリチリ。女子はそれを三つ編みにする。あと、↑の写真には小さくしか写っていないけれど、小さい頃からピアスつけてる子がほとんど。

モルは洗濯機の修理のお仕事。「こんな構造になっていたんだ」と地味に感心する。

近くでサッカーをしていた子供たちからボールをもらって技を披露する。モルはサッカーがうまい。

今日の昼食はチェブジェン。

クリーニング屋の二人。左がアチール、右がモル。