HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

本当に食べる必要はあるのか(Dakar)

バターを塗ったパンを半分分けてもらった。そのパンをとてもゆっくり食べてみた。少しずつ齧って何度も噛む。これまでの癖ですぐに二口目を齧りたくなる。これまでの自分の食べるペースの早さを実感する。衝動的なその動きを抑え、咀嚼し続けるうちにパンは自然と飲み込まれていった。これを続けて普段は1分程度で食べ切るような大きさのパンを10分くらいかけて食べ切った。

この食べ方を習慣にすることができれば少ない食事量で満足できるし、空腹も耐えられるようになると感じた。大量に食べるとその反動で後の空腹感が大きくなる。同じ分量でも急に食べるとそれは体にとって強い刺激になり、また次を求めるようになる。これが自分の感覚を眺めた実感である。

食べる量にしろ、速さにしろ、自分の感覚への刺激を弱める。微弱な刺激に慣れていくことでだんだん刺激の必要性がフェードアウトしていってやがて刺激が必要なくなるかもしれない。つまり食べる必要がなくなるかもしれない。波立つ水面に触れずにいれば少しずつ収まって凪となるように。

これまでも「ゆっくり食べろ」とか「腹八分目」とか、当たり前に普及している健康論はもちろん耳にしてきた。「そっちの方が身体に良いんだろうなぁ」くらい思ってもいた。けれども真剣に取り組んだりはしなかった。お金も食べ物も豊富に揃った環境であれば何も意識せずに最大幸福を得られるような食事選択をする。

今はここ、アフリカで貧乏旅の真っ最中。食べ物の品揃えは圧倒的に少なく、それでいて低価格でもない社会環境だし、自分としてもこれから先、旅費も食べ物も得られる確証はない。必要に迫られて少量をゆっくり食べることに真剣になったのである。

食も金も人との繋がりも何にでも言えるが「これがなければ生きられない」という依存から脱却する生存確率の上昇に繋がる。お金を使わなくても済むようにする、食べなくても大丈夫なようにする。それは自分の目から見る限りほとんどの人ができない境地。完全自給自足の野人とか、不食の人とか、世間にはそういう超人が存在することも知ってはいるが、ほとんどの人にできない逸脱をこの自分なんぞに可能なのかどうかわからない。

でも、すごく関心はある。ワクワクしている、トキめいている、というやつである。改めて不人気な趣味を持ったものだと思う。消費をしないということはその分、他者と関わる機会が減るというのが一般的な傾向だからぼっち状態にも拍車がかかる。

が、食えなくても大丈夫になったら所持金0円でも生存が可能である。もちろんその状態を好むかどうかは別だけど、生きてさえいればその他のことはいくらでも手の打ちようがある。そういう実感が二年半の旅の中で馴染んできたし我が心はガンガンゴーサイン。TOEIC900点みたいな感覚で挑戦したい境地である。

ポイントはただ自分の感覚に集中すること。お腹が減ったから食べる。食べる必要がないから食べない。満足したら食べるのを止める。書いてみればごくごく普通の当たり前すぎること。しかしこれが実際ほとんどできていない。

例えば自分が一日三食食べていた頃、たとえ空腹を感じていなくても食べる時間になったから食べいた。これは時間を見て動いているので自分の感覚ではない。誰かと会う為にレストランやカフェにいる時も一品以上注文しなければいけないから何かを選んで食べる。これは社会のルールがそうなっているから食べている。旅する今では嫌なことがあったり悪い想像でストレスを溜めると実際に空腹でなくてもやけ食いみたいに食べたり、ご馳走してもらう際に相手を喜ばせようとしてたくさん食べたり、自分の本当の感覚でない根拠で食べることがよくある。

「食べる時間」も「お店のルール」も「ストレス」も「相手の顔色」も全て自分の感覚ではないので、これらをガン無視したい。だからいつも「本当に食べる必要はあるのか?」と自分に問い続け自分の感覚だけを抽出する。これを積み重ねていくうちに不食とまでは行くのか分からないけれどだいぶ楽なところまでいけるのではないか、少なくとも必要コストの激減には繋がって余裕が持てると思う。

滞在しているクリーニング屋はボスのモルMorとこのアチールAchilleが働いている。

お茶をよく沸かす。

お昼ご飯。ピーナッツのペーストが混ざったご飯。とても美味しくてどんどんかっこみたくなる。が、これもまたゆっくりいただく。

今日の夜はモルの家にご招待されそこに泊まらせていただくことに。

モルは洗濯機の修理も仕事にしている。日本じゃ修理なんてまずカスタマーセンターにご連絡だもんな。自分の手を動かしてやるのはなんでも憧れる。

モルのお宅にて、姪っ子と一緒に。

奥さんのアミナAminaと一緒に卓を囲む。

ワインとかパスタとか0時を過ぎから焼き始めるバーベキューとかたくさんご馳走になった。モーリタニア以降、たくさんご馳走になるのはなかなかなかったのに、不食のことを思った日に限ってこんなにご馳走になるとは。

もちろんありがたい。が、ここでも意識してゆっくり食べる飲む。ワインなんか舌一面が潤う程度の量しか一度に口にしない。「早く食べろ、飲め」と言われたくらいだった。

アミナの姉妹の女の子たちのポートレートを撮った。

お香を炊くときは火鉢を使う。

なんの枝を飾っているのだろう。

今日はモルが役所に結婚届を提出した日。手続きする様子を動画に収めてもらったようでそれを見せて笑っていた。

セネガルの文化の基盤はイスラム教なので、男性は一夫多妻制の下4人の妻を娶ることが可能である。今日の届出では「一妻」とするか「多妻」とするかの選択欄があり、モルは「多妻」を選んだ、と言うことを奥さんのアミナもいる中陽気にと僕に教えてくれた。「え、アミナはそれどう思うの?」と尋ねると失笑しながらジェスチャーで「いやそんなの許さんから」と言うような反応だった。日本ではほとんど見られないであろうやりとりが印象的だった。