セネガルの首都ダカールにあるCVDというセイリングクラブ(船の発着場)で南アメリカに行く船を見つけたい。今日は昨日出会ったボート乗りの人と詳細を詰める予定。
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早朝、テントを出てすぐ、こんな景色。
地元の人たちの漁船もたくさん。
CVDはキャンプ場になっていて宿泊客向けのバーもある。自分はお金を払わずにビーチで滞在していたので対象外かもしれないが、宿泊客じゃない人たちも立ち寄っている様子だし、客もほとんどいないし、店員も全然気にしてなさそうだったので、席と電源を取って作業を始めた。このバーはゆっくり作業がしやすい。さらに目の前は海が見えて波の音が聞こえて気持ち良い。朝からそこに座ってのんびりボート乗りの人を待った。
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しばらくするとボート乗りが来た、昨日出会ったフランス人のオーナー。名をクリストフと言った。
クリストフは難しそうな顔で切り出した。低音の落ち着いた声色だった。
「カーボベルデまでは3日かかる。もし深刻に船酔いをしたらここまで戻らなければならない。時間には余裕がないからそれは出来ない。」
自分は確実に船酔いする体質だ。「酔い止めの薬を飲んで頑張ります」と伝えたけれどそれでも難しそうな顔だった。こういうことは理屈ではなく相手がもう大体決めてしまっている。彼らに乗せてもらえる可能性はかなり低そうだと感じた。とりあえずもう少し検討してまた連絡をしてくれるような雰囲気だった連絡先だけ交換した。
にしても船酔いか。カーボベルデまでは三日間かかるし、そこから南アメリカに行くのは二週間以上。絶対に船酔いするじゃん。途中とんでもなく波の高い日がたくさんありそうだし。ただでさえ船乗りの経験がなく何も貢献できない自分を乗船させてくれる人なんて現れる気がしない。はて、どうしてものか。
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とりあえず、このバーで作業をしながらビーチで無料泊していれば待っている間に誰かしら船乗りが現れてくれるだろう。依然作業は大量に溜まっているのでちょうどいい。
さらに、ビーチにテントを張っている僕を見ていた細長い身体つきの警備のおじさんが自転車をCVDの敷地内に置いても良いと許可してくれた。ガードの人に守られながら無料で滞在できる。落ち着いて待とう。
と思っていたその夜。
日が落ちた頃ずっと作業をしていた自分に掠れた声の男が話しかけてきて「出ていってくれ」と言ってきた。何も注文せずにずっと作業するだけで一日中滞在していたので警備員が動き出しだようだ。
バーはCVDの敷地の中にある。日が暮れる前にCVDのオフィスが閉まり、バーは夜遅くに閉まる。自分は宿泊料を支払っていないからCVDのオフィスが閉まったタイミングで出ていかなければならないのか、と思った。明日以降も利用したいので「何時から何時まで滞在することができるのか」と尋ねようとしたが多分意味が通じていなくて声が掠れた男はただ出て行けの一点張り。
それでも何度も質問しようとしていると、先ほど自転車の警備を買って出てくれた細長い男もやってきて一緒になって出て行けと言ってきた。「あの、さっき話しましたよね。ぼく、この後ビーチにテントを張るのですが。。」と伝えてももう聞く耳は持っていなかった。
一日中カフェでただ滞在して作業をするという使い方がまずかった。まあそりゃそうだけど、客は全然入っていなかったし店の人もやる気がなさそうだしアフリカだしゆるいるかと思って油断した。言葉が通じない不便も露呈した。
最初に「出て行け」と言われた時に利用時間なんて聞かずにさっさと出ていけば細長いおじさんに追い出されて寝場所を失うこともなかったかもしれない。アフリカに来てから思うけれど日本やヨーロッパの感覚で細かい話をしようとしても通用しない。僕は彼らの目から見てただ「出て行け」と伝えているのに言うことを聞かない問題人と思われたのだと思う。あと、ちょっとでも荒事の気配があれば即徹底粛清。仲間も集まって徹底的に潰す。同胞意識の強さも感じた。
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CVDの門から出た時はもう真っ暗だった。
男たちとのやり取りをその場で見ていた英語の話せる男が話しかけてきた。
「大丈夫、オレが助けるよ。なぜなら神様がそう言っているから。」
わぁ、なんてタイミング!ありがたい。
名前をモルMorと言った。国民の90%がムスリムと言われるここセネガルでもムスリム的ホスピタリティが息づいている。
バイクでゆっくり先導するモルについていって1キロほど。辿り着いたのは彼の営むクリーニング屋。その建物内か、裏のスペースでテントを貼って眠らせてくれることになった。
とりあえず不幸中の幸い。モルは「また明日ね」と言って自分の家に去っていった。
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寝る前、深刻なトラブルが発生した。
テントのチャックがついに閉まらなくなった。
このテントを使い始めたのは2020年11月。2022年1月にスロベニアでこのチャックが締まらなくなり始めた。ネットで調べ、ペンチでスライダーを潰したら一時的に使えるようになり、また閉まらなくなったらまたペンチで潰す。そうしているうちについにはスライダーが壊れてしまい、思いつきで歯ブラシを入れているケースのスライダーを移植したら復活し、またダメになった。ついに全く閉まる気配がなくなってしまった。トータルで二年半で使えなくなった。YKK社製ならもっと丈夫だったろうな。なんとなくCM眺めてるだけだったけどすごい会社なんだなと思う。
このトラブルが今、どうして深刻なのか。
蚊である。
モーリタニアのヌアクショット以南、日陰や夜間にはどこでも蚊が大量に生息してた。野外はもちろんのこと、室内では網戸とか窓とかドアがちゃんと閉まる家なんてない。町長さんの豪邸ですらそうだった。
毎晩、閉まり切ったテントの中で静かにしていると100匹くらいいるんじゃなかろうかという蚊の羽音の合奏が聞こえてくる。テントがなかったらと思うとゾッとする。
今はもう手の打ようもないのでビニールテープで頑張ることにした。
なんとか閉まり切った。作業をしている間にテントの中に10匹くらい蚊が侵入していた。パチパチパチパチ叩いて彼らの命を奪った。
ビニールテープの補強具合は完全ではなく一晩のうちに3匹くらい蚊が侵入してきてしまった。ボートが望み薄で滞在もできなくなりテントのファスナーも壊れた。色々と悪いことが重なって気が滅入ってくる。とりあえず明日、このテントをなんとか直すところから始めよう。