「La Maison Des Enfants」を朝、出発した。ボランティアのみんなが6時から施設の準備を始める中、自分は自分の荷物の準備をしていた。スタッフのみんなにお礼を伝えて走り出した。2ヶ月以上付かず離れずで一緒に旅したフェデリコは最後の最後まで見送ってくれた。
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日曜日に走ったのと同じ、また70kmの道のり。気温は朝が早いので涼しめだった。午後からだと暑すぎてバテてしまう。
トラックに捕まる自転車乗り。
タリべの子供はたくさんいる。集団でいる子供なんかはよく声をかけてくる。
道路の具合は凸凹が多い。
牛がたむろする。
ロバもよく歩いている。
道路の狭さはこのくらい。
こんな道路でトラックやバスのような大型車両は後ろから容赦なくプレッシャーをかけてくる。クラクションもガンガン鳴らしてくる。そしてスレスレの距離を追い越してくる。緊張感が半端じゃない。
バスはこんな感じ。
フルーツ売り場。
椰子の木が見え始める。海が近い。
車一台一台に話しかけてお菓子や果物を売っている人たち。
どんどん都市になってくる。
バスは基本後ろのドアが開きっぱなしになっていたり外の梯子に捕まっている人がいたり、屋根に乗っかっている人がいたり、日本では即取り締まられてしまいそうな状態が多い。
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セイリングクラブ「CVD」に到着。ここで南アメリカに向かうボートを探す。
さあ、まずはどこに無料で泊まろうかと策を練る。ボートを見つけるまでには最低でも一週間程度の時間がかかると思われるので、この近くに無料で宿泊したい。しかしCVDの敷地は旅行者が泊まれるキャンプ場のようになっていて、一泊3000フラン=652円がかかる。そこをなんとか抜け道がないかと周囲の人に聞き込みをする。
とりあえず誰がスタッフなのかよくわからない。警備員の人に仏語の翻訳機で用件を伝えると、ここの管理スタッフのオフィスにいた女性を紹介された。その女性の無表情さを見て融通が効かないことを一瞬で察したが一応抵抗して交渉したがあっさり突き返された。
それからたまたま目が合ったフランス人の旅行者に相談すると別の現地スタッフのおじさんを紹介され話しに行く。おじさんはまずぼくに「このキャンプ場ではいくらするんだ?」と尋ねた上で、「自分のボート上であれば一泊2500フラン=543円でいいぞ」と提案。「いや、厳しいです」と伝えると2000フランに値下げした。
434円。もちろん好条件ではあるが、自分は無料にこだわり「お金はないです」と伝えるとおじさんは「センキュー」とぼくの肩に手を置いてあっさり行ってしまった。
やっぱり首都となると厳しい。お金を回さなければ生きていけない暮らしであることを実感する。
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作戦を変更し、寝場所よりも先にボートを探してみることにした。
漁師さんと思しき男性に尋ねると、南アメリカに行く途中にあるカーボベルデという島国に向かう船があることを教えてもらった。おじさんはその船の持ち主に連絡をしてくれて、合わせてもらった。
船の持ち主は中年のフランス人でカーボベルデの現地の青年と二人だった。二人は一緒にカーボベルデで旅行者のガイドを生業としているそうだった。
相談を持ちかけると明日に話をしようと提案してくれた。「南アメリカに行きたい」という話をしても「あー、なるほどね」という雰囲気で不可能ではなさそうだったので安心した。
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寝る場所については漁師と思しきおじさんがビーチにあるちょっとしたスペースを案内してくれてそこにテントを張れば無料で眠れるとのことだった。こちらもなんとかなって一安心だった。
お金を支払わずに滞在するのは難しそうだけれど、実際に姿を現してノックを続ければなんとかたどり着ける。改めて一人旅の中でそれを実感できて良かった。
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紹介してもらった近所の安い食堂で注文した「ヤッサ・プレットYassa-Poullet」。1000フラン=217円でなかなかのボリューム。甘辛めのジャンキーなテイストで美味しかった。
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ビーチでは近くに何人か通行人が通ったけれど何事もなく夜を明かすことができた。これならしばらく滞在しても問題なさそう。
初日から船で海の向こうに連れ出してくれそうな人と出会えて良かった。経験したことがないのでなかなか厳しいかと思って不安だったけれど、このままトントン拍子に進んでくれることを祈るばかり。