HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

ひとりになりたい(Malikounda)

困窮した生活環境にあるセネガルイスラム学徒「タリべTalibe」の支援に取り組むイタリア発の非営利団体「La Maison De Enfants」の施設に滞在している。活動13日目。

ボールを蹴って遊んだり、子供たちから頼まれた絵を描いたり。

それからみんなの様子を撮影して回った。

早朝起きて明日ここを出発すると決めた。先日ダカールに行った時、南アメリカに向かう船を見つけるためには船の発着場に張り付いて探さなければならないこと。そちらが気がかりで目の前のボランティア活動に集中できないことが理由だった。

それと自分の活力がすっかりなくなってしまっている。実際これが一番大きい。この期間のブログを読むだけでもわかる人には伝わっていると思う。

思えば誰かと一緒に旅をし始めたのが1月4日から。二ヶ月近く一人旅をしていない。

こうやって過ごしてみて一人でいた時と比べてわかるけれど、自分が元気でいられたのは「どこまでも自由」で「一人でも大丈夫」だと思えることだった。誰かと一緒にいるとどうしてもその誰かの都合を基準に動くようになり、助けてもらう根性が露呈する。行き先の決定、現地の人とのコミュニケーション、食べるもの、色々なことの決定を一緒にいる人に任せる。そうしているうちに自分一人で居ることの自由と自信がなくなっていく。

先日ダカールに行った時にあてもないままその場にいる人たちに色々尋ねて結局セイリングクラブにたどり着くことができた。あの、動いて進めていく感じが活力不足の今の自分に効いた。やっぱり一人で動くことは自分にとって大事だと感じた。

ひとどころに滞在していてもそこが自分の求めることだったらそれも構わないと思う。ここでのボランティア活動そのものはとても良かった。関わっている人たちもみんな良い人だった。団体の活動は意義深いと思う。

ただ、自分の気持ちのスイッチが入らない。これは自分の今の状況や考え方がこの活動に合っていなかったからだと思う。本当は詳しく説明したいのだけどちょっと上手く言葉にできない。昨日の記事でも書きたかったけれどめちゃくちゃ文字数が多くなって誰にも伝わらない絵面が見えたので消した。

結局、この団体の目指す先や目の前の子供達や他のスタッフの役に立てていない感が自分の中で強く、申し訳なさも相まってただ辛くなっていた。

元気がなければ一人で気ままに歩く。基本に立ち帰る時。

滞在中はずっと物置部屋にテントを張って眠っていた。