HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

250枚の服をたたむ(Malikounda)

困窮した生活環境にあるセネガルイスラム学徒「タリべTalibe」の支援に取り組むイタリア発の非営利団体La Maison De Enfants」の施設に滞在している。

完休日の土曜日。

昨晩から先輩のボランティアのガールズは二泊三日の車で行くセネガル国内ツアーに出かけていき、現地スタッフもいないので、施設に残ったのは自分とフェデリコのみ。さらにフェデリコは自分のキャンピングカーで寝泊まりしているので夜は自分一人だけになる。

今日は自分の作業の他に金曜日までに洗いきれなかった衣類の洗濯を頼まれていたので取り掛かった。

しかしまず洗濯機が動かない。フェデリコが色々と試したみたところ、単純に水道が止まっているせいだった。この建物の水道は日中。10時〜17時ごろになると水が出なくなる。フェデリコの提案で建物の2階に住んでいる大家さんに尋ねるとその状態は大家さん宅でも同じだそうで、大家さんは建物から300mほど離れたところに見える給水タンクを指差し「あそこに問題がある」的なことを教えてくれた。会話はフランス語であり、自分もフェデリコもフランス語は出来ないので雰囲気で理解した。

結局洗濯機はフェデリコが発見した代替案、洗剤をセットする場所から手動で普段から大量に汲み置いてある水を注ぐ作戦で回していくことになり、何度も洗濯機の様子を見に行って適宜10Lの大きなボトルから水を注いだ。

洗濯が完了したら庭に干す。

庭の洗濯ロープが足りないのでその辺に転がっていたプラスチックのロープを塀から出ている釘と木に引っ掛けて干せる場所を増設した。

ここの設備は日本の一般家庭で揃っているような水準に達していない。本来はできる限り日常業務を効率化させタリベの問題解決のための取り組みに時間や労力を注いでいきたいところだと思われる。しかし現状は日常業務を普通に遂行するにもインフラが整っていないとか道具が足りないとかで手間や工夫、マンパワーを割くことになる。団体はまだまだ走り出しの段階であり、至る所に物資や知恵や技術の支援が必要だと感じる。

洗濯を終えた後は服を畳む。これは別に頼まれていなかったのだけどあまり貢献できていない自分はこういう時に働いておこうと思い、全部で合計250着をたたんだ。これは良い機会だった。写真の中の床に散乱している服をたたむ。

自分は普段からちゃんと自分の服を丁寧にたたんだりはしない。でもたたむ作業は瞑想だとか武術みたいなものだと思っていて、人生はこれをちゃんとやるかどうかによって決まるくらいに大事だと直感していたりする(←じゃあ普段からちゃんとやれ)。なので何着たたもうが自分は静かに楽しんでいた。もっと多くても良かった。

洗濯しても古すぎて黒ずんで汚れが落ちていないTシャツ。穴が空きまくっているFCバルセロナのメッシのユニホーム。ビリビリに敗れたワイシャツ。腰回りのゴムが伸び切った半ズボン。ペアになっていない靴下。子供の頃の自分がこんなものを着ていたら母親が仰天して新しいものを買ってきただろうと思う。こうやって一つ一つ子供達の普段着に手をつけて彼らのことをほんの少しだけより深く理解する。

ぼくは原型が粗雑な人間なので子供の頃なんかは服なんかくしゃくしゃにしてほっぽり出していても特に気にするタイプじゃなかった。服をたたむことは大人に言われて仕方なくやるめんどくさい行為だった。今だって本気でやろうとしてもぶっちゃけそんなに美しくたためない。それでもそんな自分の前で家族や友人がちゃんと服を畳むその姿や美しくたたまれた服を示してくれたおかげでこんな自分の心にも深いところに残った。

海外をひとり自転車で旅をするという世間的には派手かもしれないことに取り組む今、思う。派手に見えて憧れていたことは実はそんなに大したことはなかった。いや、好きだから別に良い。けど、物心ついた時からずっとそこにある当たり前のことの中に至高さがあるように感じる。旅というのも実際、その中身はありきたりな動作の詰め合わせだったりするしなあ。

静かに居残って雑用するだけの地味な一日だったけれど良い日だった。

ボランティア達が使うトイレを掃除するフェデリコ。キャンピングカーに泊まるので自分はほぼ使用しないのに、せっせと取り組んで「はあ〜すっきりした」と笑顔を見せた。「ぼくも使うのだから出来てよかったよ」と爽やかだった。

今日も一日、このフェデリコの冴え渡る問題解決型思考と実行力に助けられた。彼は自分が出会ってきた人たちの中でも本当に一味違うスーパーマンである。この男の素晴らしさをまとめた記事を書きたいくらい。