困窮した生活環境にあるセネガルのイスラム学徒「タリべTalibe」の支援に取り組むイタリア発の非営利団体「La Maison De Enfants」の施設に滞在している。
活動6日目。昨日で一週間ひとまわりを終えて2度目の金曜日。やっぱり先週と同じでたくさんの子供たちが訪れてきた。
とある子供が持っていた袋。中身は彼らが暮らすダラーDaraaから配給される食事。
米粒、小さなスナック、甘いミルク。全てでぼくの片手に収まるサイズだった。ダラー一般、どこも配給はなし、もしくは一日一食分だというから彼の場合もこの袋のみだろう。後は自ら稼いだお金で買ったり、地元の人々とうまく繋がってやりくりしていると思われる。一般論で言うところの栄養状態はもちろんよろしくないだろう。ほとんどの子供たちはひょろひょろしている。
みんなでパンを何本もカット。一本を三分の一に切り分ける。
今日はマヨネーズに豆と玉ねぎを一緒に炒めたものを挟んだ。
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典型的な細目のアジア顔である自分はまず多くの場合、出合頭に「シヌア(中国人)」と呼ばれる。これは東欧の時から老若男女みんなそう。西欧では一旦収まり、アフリカ大陸入りしてからはより一層バンバン言われるようになった。もちろんここセネガルでもガンガン言われるし、施設を訪れる子供たちからも毎日言われる。
相変わらず言われる度に「わりゃ日本人じゃクソガキが」と心の中で腹を立てる。が、自分だって遠い国のことなんざろくに知らず、中学の地理の授業で習うまでアメリカとイギリスの違いは良くわからないくらい世間に疎かった。このセネガルで、ましてや親元を離れコーランの暗唱しか教わらぬダラーで暮らす子供の認識が細目の人=中国人となってるのも自然なこと。
知らない、それだけこと。なので中国人と呼びつけてきた本人に近づいていって握手をしたり肩を組んで名前と国籍の自己紹介をするように心がけている。内心ムカッとした直後なので圧が強いかもしれない。本当のところ国籍なんてものがどうして必要なのか理解できていないのに我ながらおかしいと思う心の動き方である。
戦いに憧れを持つ全ての少年たちにとって中国ときたら次はカンフーである。彼らは「これでしょ?」と言う感じでそれっぽい構えや動きを披露してくるがカンフーは中国発祥の武術であり日本は空手、柔道、合気道だ、なんて伝えたって例え大人でもその違いは結構わからない。
それでも、カラテの名はかなり有名で、これまで旅してきた国の人からもかなりの方々から興味津々に「お前は空手ができるのか?」と尋ねられてきた。昨日、学習会に来ていた青年もその例に漏れず、さらに「空手を教えてほしい」と頼まれた。
子供たちを支援する場にお邪魔させてもらっているので、せっかくだから日本ならではの何かを伝えるべきかなと一般的な海外ボランティア的発想が災いして湧いて、かじったこともないのに引き受けた。そんなにすごい水準のものを教えられなくてもYouTubeで基本の型を覚えたら良いじゃないかと思ったのである。それから動画を検索、松濤館流の最初の形の動画を一見して、形を真似るだけなら意外と簡単だったので夜な夜な施設内で練習して覚えた。
翌日であるこの日、10人くらいの子供たちが集められ形を見せて教えた。
は、子供たちはすぐに飽きて立ち去っていってしまった。
ワークショップの飽きさせない設計というものが大事であることを痛感した。いや、その大事さそのものを知ってはいるのだけどその工夫の引き出しが自分にはない。加えて「右手」とか「上」とか「こうやって」とか「下がって」とかそういう簡単な言葉のやりとりがウォロフ語でもフランス語でも出来ないことも悪かった。この時の自分の様子の写真がないのはお察しでございます。
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僕が空手の形を練習していたらこの日訪れていたイタリア人のボランティアさんも少しだけ教わったことがあり、子供たちに教えていた。