HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

仕切り直し(2024.10.28〜11.3)

パラグアイの首都アスンシオンにお住まいの日系パラグアイ人のご家族のお宅に滞在させていただいています。

お世話になっているご家族の皆様。ありがとうございます🙏

10月20日頃から滞在し始めていてもう2週間になります。9月中旬頃から1ヶ月半も自走していません。

アスンシオンでは大都市だからできる用事に取り掛かっていました。

壊れてしまったカメラを日本に送ったり(かなり大きな決断)、壊れたスマホを直したり、壊れたバッグを直したり、思いついたのが民芸品『ニャンドゥティ』のお土産キャンペーン。SNSに写真を載せて希望する人を募り、ビデオ電話で実物を見せながらの買い物代行。

これね、海外を長らく旅していると忘れるけど、ほとんどの人にとって海外を歩くのはハードルがめちゃくちゃ高い。体力が持たないとか、犯罪者に狙われやすいとか、そもそも移動するだけでお金がかかるとか。自分でももうしんどいと思う時があるくらい。

でも自分は結局なんだかんだ慣れてきているのでこういうことをしたら良いと思う。身体のおぼつかない人が重い荷物をヨロヨロ運んでいたら特に理由もなく手を貸すのに似ている。旅とか海外ってやっぱりロマンだしな。

それから家で時間に抜けてしまった記録を書く。ということをしたいのですが、空いてしまった期間の気持ちと今はもう全然変わってしまっているし、出来事の伝え方とか構成とか読み手からの受け取られ方とか考えてしまってなかなか進まない。見る人はあんまり気にしていないんだろうけども悩む。悩む。悩む。悩む。悩む。

こんなに悩みながら書くものなんて見る人のプラスになるのか?もういっそ書かない方がいいのか?時間だけが過ぎていく。「歩いて書く」とずっと言ってきてるのだけどできてない。まあ〜苦しい。さらっと書くけど結構ガチ。誰か教えてくれ、俺はどうすればいい?笑

で、こうして一日ちょっとずつでも晒け出していくことにした。久々なので仕切り直し。旅先で見たもの、旅先の蘊蓄、出会った人との出来事、自分の感じたこと、切り口は色々あり過ぎて何をどう書くのかはもう旅立つ前からずーーーっと悩んでいるけど、もうなんでも良い気がしてきた。売れなくてもウケなくても素寒貧でもやりたいことに挑戦することはできるし、このまま死んでも誰かに迷惑をかけてもそれは悪いことじゃないんだって意識のどこか深いところで納得している。

真っ直ぐに伸びたり座禅を組んだりという話もした。旅とは全く関係ない話だけれど、これがあるからどんなに状況が追い込まれても潰れないんだよね。私の状況って常識的に見るといつも絶体絶命。自分でもよく「何やってんだろ?俺」と不思議になる。それでも続けたい。人力で移動すること、行ったことのない場所へ行くこと、知らない人と出会うこと、こうして自分の言葉を綴ること。続けたいから続けたい。それだけ。

それはただの勘。直感。こう言うと安っぽく聞こえるかもしれないけれど、世の中見渡せばそりゃもうたーくさんの人が好き勝手全然違う人生観を説いていて、そのどれが正解だなんて決まるはずもなく、結局自分の秤で決めるのが自分の役割というか意味というか面白みではないかと思う。で私の場合秤を感じるために大切なのが体操とか座禅とか生産性に直結しない自分活動です。

やってみた感じ「万事どうでも良い。死んだって似たような人生の再放送みたいなことになるだけ。心の持ちようを少しずつ少しずつ自分の理想に持っていく。物や身体は無くなるけれど、心の持ちようは生死を超えてずっと続いていくことだから。」と落着し、焦りや固さが解けます。この落ち着き感が一番のポイントで後の成り行きはなんでも良いしどうでも良い。私にとってそれは投げやり諦めの境地ではなくて広大無辺な自由の原点です。

・・・写真・・・

いただいた食べ物シリーズ

フェイジョンライス

ごま油と醤油の絶妙な組み合わせの混ぜご飯

とうもろこしの粉のパン「ソパsopa」や大豆ハンバーグのカツ「ミラネサmilanesa」にチーズを載せたもの。パラグアイ的なメニューにご飯と味噌汁の日本食が混ざりました。

日系パラグアイ人の方が独自に醤油を作って販売されているそうです。

おでんの素で味付けした煮物。奥にはアボカド。

ある日にはご近所さんが集って持ち寄り。ベジタリアンで美味しいメニューでした。

エンパナダも美味しい。とうもろこし、卵、玉ねぎの三種類。

買い物に行く途中で撮った街。パラグアイは一昔前という印象で、飾らない感じが個人的には気楽である。

お店の人と関係者で集合写真を看板にするってのが気に入った。笑

にわか雨が降ったあと虹がかかりました。ピンボケしていた。

『ニャンドゥティ』を買った市場。

全然違う時だけどショッピングモールで見た服。

街の中心にある大統領官邸

・・・・以下は日々の更新・・・・

11.3

パラグアイの日曜日は基本的に休みなので市内の中心部もガラガラです。今日はまたお土産の品の下見に。それから滞在先の家で粛々と写真や動画を整理。二ヶ月近く人力移動ができていないけれど、目の前のやることをやっていきます。

11.2

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「生きてる以上は人類や社会の維持存続発展に寄与しなければならない」というルールは自分の中でとても強固だったんだな、と改めて思った。

自分のことも他人のこともその物差しで測っていて笑えなかったと思う。自分はいつもそのルールを違反しているし、他人の悪いところばっか目についてもう心の中は荒れ放題。笑えない。

久々に壁を前にして瞬き以外は目を閉じないで座る座禅をやって自分の感じるさまざまな波が鎮まるのを待った。私は白い壁や硬い床を感じているが、本当の感覚は「白い」や「硬い」であり、「壁」や「床」は思考で作り出しているものであり、生の感覚ではない。

私的にこれは現実は己の思い込みから成っていることを忘れた没入状態から離脱し、感覚を観察し創造する自分としての立ち位置に立とうとしている。少し有体に言うと一般に現実だと言われている世界を、自分個人が映し出して見ている夢とか幻のようなものとして捉え直すとも言い表せる。ここまでくると「人類や社会」も夢や幻であって実在せず「維持存続発展」も必要ないと得心し、自傷他害の根源であった自分ルールは瓦解し融け去っていく。

世界が現実なのか、夢とか幻のようにペラペラなのか、ここを確かめる方法はない。なぜなら誰一人として自分の感覚から抜け出して客観的に観察する事ができないから。現実にせよ夢幻にせよただの捉え方であって正解不正解も優劣もない。どちらも思い込みで好みの問題。で、自分は前者こそが真実だとしんじてやまなかったところから後者に行こうとしているところ。

手足を動かして物事を進めていると世界の質感は濃く固くなり、優劣の判断が出てくる。そこにはこの静寂の淡い心地良さを感じる精細さやゆったりした余裕がない。米はよく噛んだら淡く甘味を感じるけれど、濃い刺激を欲してよく噛まずにかきこむ、みたいな。

しばらくお留守にしていたことで理解の深まった今、この静寂を今一度原点に据えてみる。

11.1

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11月入り。

昨日のニャンドゥティ欲しい人募集の投稿に反応が来てホッとしました。いや、反応なくてもええやんって話だけどもなんかもうガラにもねぇこと言うと緊張するのよ。笑

ほんで、今日は一人の方とビデオ通話しながらショッピング。やっぱりこういうものはじーっくり色々見比べてライブで見ながら考えないとだよね。不慣れでぎこちなく、お店の人にも手間をかけてしまったけれど協力していただいて、ちゃんと本人の希望のものを買い切る事ができたようでよかった🙌

今使っているSIMカードはブラジルで出会った日系人の方からの応援でいただいた物で、おかげで野外の公園の市場ときうWi-Fiなしの環境でも繋がりました。ありがとうございますだ🙏

10.31

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アスンシオンの中心部にある公園のマーケットで『ニャンドゥティ』を見て、Facebookの方にお土産が欲しい人募集の記事を書きました。本来これくらい前々から軽々やれてると良いなぁと思っていたのですが、まあ自分のことでいっぱいいっぱいでやってきませんでしたね。いきなり言われても反応に困るよなぁと思いつつ投稿。

まあしかし、今は旅の記録を更新していくつもりで。己のペース回復していきます。軽く緩く柔らかく。

10.30

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このくらいの距離の接写で被写体にピントが合う、かつ背景にボケが出る。iPhone7のカメラ、壊れていたものを修理に出して復活です。修理費は200000グアラニー(4000円)。これまでのGoProではピントが合いませんでしたがこれで少しは綺麗に写すことができそうです。

で、これは『チーパChipa』というパラグアイでは一般的なパンです。ほんのりチーズの味が生地に混ざり込んでいて美味しい。黒い粒々はアニス。このアニスは他の種類のパンにも混ざっています。癖のある苦味。個人的にはこれは苦手です。一つ4000グアラニー(≒80円)。

いま泊まらせて頂いているご家庭の方々はキリスト教のセブンスデー・アドベンチスタという教派の方々なのですが、夕食の席で不意に「今日ハロウィンですね」と言うと「悪魔を祝うものだから良くないですよ」と返された。このことは前々から親しい友達と共有していたので驚かなかったけれど、分かっている人は少数派だと思っていた。

このアドベンチスタの人達は聖書に書かれていることを厳密に守っていて、中には他のキリスト教徒が意識していないようなこともある。教えてもらったのは本当の安息日は土曜日であること。豚やお酒は摂取しないこと。

そんな感じなのでハロウィンもまた教えに忠実であれば自然と避けるものだそうです。

ブランク期間のブログ記事をひとつ更新しました。まだまだいきます。

10.29

なかなか記録を書き進められません。今書いてるSNS向けの投稿(追って当ブログにも掲載します)については受け取られ方が良くも悪くも強くなりそうで慎重になっているのもあるけど、まあ物を書いて人様に見せる時というのはいつだってゴーサインがなかなか出せません。実際こうして2ヶ月間もスッカラカランになったりするくらい埒があかない。なので投稿とは別に、こうして出来るだけ毎日小出しにしようと思った次第です。

こんな風に書きあぐねている間に時間は経ちます。このまま旅せずにずっと悩んで終わるのか。他の人とかするする発信してて焦る、やばい、もう自分を責めるネタを探し出したらいくらでも見つかります。

こういうことを考えている時、私は「前に出ている」「硬くなっている」「濃くなっている」と表現します。何がというともう自分の意識というような目に見えない抽象的なものから筋肉とか実物っぽいもの全てひっくるめて。

命、お金、人間関係、寿命、時間、空間、この後の予定、魂、とにかく「存在」するもの全て。

こういうものに合わせて生きていかなければならず、自分の思いなんかよりも優先させて整えなければなりません。

それは他人軸です。「前に出て」相手の土俵に乗り、「硬く」「濃く」実体感を強めている。

この他人軸になっている状態を自分軸にしたい。「後ろに引いて」「柔らかくなって」「淡い」状態になります。相手の土俵から「後ろに引いて」降り、あらゆる物の存在感を「柔らかく」「淡く」弱めていく。地面と垂直真っ直ぐです。

心配だった諸々のことの虚構性がわかってきて、根本的にどうでもよく、それよか自分の心地よさとか何かしらのポジティブさを最優先させる心構えができます。これを私は「自分のペース」「自分のホーム」とか呼んでいたりします。

この心構えに立ち戻るためにできることは人によって異なるしなんでもありだと思います。

私は身体の動作から作ります。真っ直ぐに伸びる、後ろに仰反る、各筋肉を伸ばす、動かす。

見た目体操とか筋トレですがポイントは体力作りではなくて意識を自分の心地よい状態に持ってくること。なのでその道のインストラクターが説明してくれるような正しいフォームとかになってなくてもオッケーだし逆になっててもオッケー。参考にする情報や自らのインスピレーションなど諸々の取捨選択は全て自分の感覚です。

できてるかできてないか、それが分かるのも自分の感覚です。どこかに答えがあるようなものではなく、自分がオッケーだと思えばオッケー、ダメだとおもえばダメ、そういう類のものです。

現状いろいろ危ない気がするのですが、焦りから行動するよりも、この自分のペースに立ち戻る方が大切。諸々の現実の運用は基本的にどうでも良いもので、なにかしら操作すべき時に自然と自分や誰か、何かが適切に動いてくれる。こういう心構えを覚えていきます。

10.28

前回より2ヶ月経過してしまいました。本当のところ、毎日少しずつ書き足して週一程度のペースで記事の完成というような動きをしたいところなのですが、もうスッカラカランです。。笑

これからそのペースを取り戻し、間の空いていた期間のことも埋めていきたいと思います。