HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

宇宙からの旅行者(Malikounda)

セネガルの困窮した生活を強いられるイスラム学徒「タリべ」の支援に取り組むイタリアの非営利団体La Maison De Enfants」の施設に滞在している。

今日、二日目の完休日も一日書く作業に時間を使った。そして今日も一日中時間があったはずなのにほとんど進まなかった。今書こうとしている投稿文章を書いては消してを繰り返しているのだけど「いける」という感触がなかなか出てこない。出来栄えが、すなわち自分自身がまだぼんやりとしていて、これをそのまま公開すると後悔することになる気配がプンプンなのでまだまだ制作を頑張る。

ただ、昨日から覚え始めていた仕事の進行の遅さに焦る気持ちは持ち直した。

もう昔々からの癖みたいになっているのだけど「自分は多くの人ができないような旅に挑戦しているのだからそれを何かしら社会に役立つよう還元すべきである」というサービス根性は根強い。

ぼくが社会に還元できるものといえばやっぱり旅先で見聞した事であると誰でも思うだろう。サービス根性が強いのでそこについ反射的な速度で応えたくなる。が、自分の本当の関心はそんな社会のお約束と全く関係ないところで働く自分の直感の動向であり、それを捉えて他人に伝わるように発信していきたい。しかし直感は目に見えないし自分で決める事でありそれを表し伝えるとなると僕の場合とても時間がかかる。どこかに出掛けたり積極的に現地の人と交流するような旅らしいことをする時間なんてろくに取れないかもしれない。が、それでも良い。

自分はそもそも人類一人一人は宇宙から地球に派遣されてきた旅行者だと思っている節がある。旅というのは何もこんな遠い国をほっつき歩くことだけじゃない。引きこもりだって立派な旅だ。その自分の感じていることを発信できるのであればそれはもう旅行記である。

ずっとテントや家の中に篭りっきりの「つまらない」期間もまた良し。自分の直感を確かめるなんて理解されにくい個人活動にどれだけ時間を使っても良い。どれだけの場所に足を運んだとか、どれだけ人を助けることが出来たかとか、どれだけ面白いものを創り上げることが出来たか、そんな人から理解される成果も、生き死にすらもどうだって良い。たとえ自分にしか理解できない奇行だけでぼっちのまま人生を終えてあの世でどんなとばっちりを受けることになったとしても、この直感をずっと見ていたことを勲章としてようと思う。それが自分の地球旅行。

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イヴァンが作ってくれたパスタを食べた。

庭にいた赤い小鳥