HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

上達も成果も忘れる(Khombole)

引き続きコンボルKhonboleの町長のお宅の家でお世話になっている。ちなみに町長さん本人は仕事だとか他にも2件あるらしいお宅にいるだとかで全然会っていない。代わりに町長さんのご家族やお母さんがお世話してくださっています。

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自分は何をやるのにも「もっと上手くなって何かの役に立てる」みたいなことを思っている。

今の自分が欲しい能力で言えば文章を書くこと。写真。語学。ダンス。呼吸法。歩き方。漕ぎ方。自然の摂理。機械工学。歴史。文化人類学形而上学。対人間合いコミュニケーション。とかとか。

でもこれ、上達の速度とか達成度は無視していた方が良い。そして能力を高めたり成果を出そうとするのではなく、ただ感覚に乗っているだけという塩梅が大事だと。そうしているうちに必要な力は得られるし必要のないものは身につかないで遠ざかる。成果や能力は感覚に乗り続けて気が付いたらそうなっている、という結果でしかないわけ。

物質世界の進行は基本能力や成果を基準に回って行くように自分からは見えてるからどうしても日々の行動選択はそこに役立つものを求めがち。それを止めることができれば何をどれだけ達成してもしなくてもどうてもよくなるので、ただ好きな心地でいれば良いだけになる。

いわゆる現代社会だと資格試験とか、仕事の納期とか、一定期間内に外界に結果をアウトプットすることが求められるから自分の感覚よりもそれを優先しなければならなくなる。でも今のぼくにはそういうノルマが一切ない。だから上達具合は気にしなくて良い。やれる分だけやれば良い。人が1年かけて到達できるポイントに10年かかっても良い。あるいは到達できなくても良い。

ちょっと前までは自分も旅をどこかで切り上げ日本に帰った後、体験をシェアする。所謂社会に還元する、みたいな動きをなんとなく求められるようなところを感じて、そうすべきである、ないしはそうしたい、という気に無意識になっているんだけど、これもまたスパンが長くなっているだけで成果思考と同列なんだよね。そこは狙いどころじゃない。大切なことはどこまで行っても自分が感じられることです。

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朝食を色々用意していただきました。

昼食

今日は何かの会議が行われていて、色々な人が出入りしていた。カメラを持って歩いていると誰だか知らんが「撮ってくれ」と頼まれる。

夕食は知らない人たちと一緒にテラスで