HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

私が伝えられること(Tarfaya طرفاية→Laayoune العيون)

今日からGoogleマップ上で「西サハラ」と表記されている地域に突入した。しかしここは実質的にモロッコの支配地域になっていて事情が複雑である。ひとまず、このブログのカテゴリーには「モロッコ」と「西サハラ」の両方をつけておくことにします。

とりあえず走ってみた実感では線の引かれている部分で目立つものは何もなく、いつの間にか入っていましたという感じ。2021年には戦争になるかという緊迫した状態もあったそうだけれど、海近くを走っていれば普通に進める見込みである。今日も100km近い走行。

連日砂埃が激しいので、いつも首からぶら下げている一眼レフは後ろのバッグにしまった。砂埃がカメラの中に侵入して取り出せない場所まで入り込んでしまうのを懸念した。一眼レフはここぞという時だけ活躍してもらうことにして、普通の写真はスマホとGoProに頼る。

たどり着いたガソリンスタンド付属のカフェで良いWi-Fiをゲットできたので、カフェの店員に寝場所も尋ねた。

対応してくれた男性はとても柔らかい笑みをたたえていた。外国語は全て話せなかったので、翻訳アプリで「ようこそ、私の名前はジャマルJamalです」と自己紹介してくれた。ジャマルは寝場所の相談に対しすぐに「任せて」とジェスチャーして近くの空き地を指定してくれた。よし、これで今日も安心して作業に没頭できる。

作業中、ジャマルは「何か食べる?」と尋ねてくれて、ジャムを塗ったホブズとコーヒーを持ってきてくれた。ありがとう😊

それからジャマルは仕事の合間にちょいちょいぼくの近くに座ってきて翻訳アプリのために「スマホ貸して」とジェスチャーしてきた。「あなたはイスラム教を知る必要があります」とか「モロッコには教育や経済や福祉、たくさんの問題点があります」と伝えてきた。

旅行者間の会話や乏しい言葉でしかやりとりができない現地の人たちとの会話ではツーリスティックな話題になることが多い。「あの場所は美しかった」とか「物価は高かった」とか「人々が良かった悪かった」とか。当たり前だがそれは社会の表面的な話でしかなく、現地の人々が本心で感じていることまでタッチすることはない。

ほとんど余裕もなく移動してばかりのぼくのモロッコ旅だけど、目にする村や町の様子、人々の身なり、招いていただいたお宅の様子や社会インフラ、そこから困窮した人はたくさんいることが容易に想像できた。地中海を挟んですぐ隣には経済的に発展しているヨーロッパ諸国があり、若者たちはより良い暮らしを求めてトルコから欧州圏に移民していくわけだし。もっと暮らしを良くしたいという思いは強いはずだ。

それからジャマル第二次世界大戦中の日本の被爆についても言及した。どこかに流れていたのであろう原爆投下の習慣の映像を見せてきて「とても悲しい出来事だ」と感想を伝えてきた。この件についてはモロッコ以前からどの国でもかなり有名で、東京の他に知っている都市といえば広島と長崎、という人もたくさんいた。もちろん被爆の件が理由で。

ぼくはこの時、急に高校時代の長崎への修学旅行で被爆者の方から伺った体験談を伝えたら良いと思いついた。お話ししてくださったのは高齢の男性だった。もっと早よ思いつけとツッコミつつ、ぼくの中で印象に残っている締めの言葉「これからはどの国のことも憎むことなく、世界中の人々と協力し合って平和な世界を築き上げてほしい」という旨の言葉を被爆者からの言葉として翻訳アプリで伝えておいた。

ぼくはただ知識として知っているだけで自分の実感していないことを軽々と話すのはあまり良いことではないと思っている。ついやってしまう時もあるけれど。

だからこういった話題は本当に大事なことだと思うけれど、たとえ同じ日本国民だとしても自分はその時代に生きていないし、ちゃんと当事者の話を聞いたこともなければ記録を見たり文献を読んだこともほとんどない。けれど自分はこの被爆者の話を聞いたことはあるのでちゃんと伝えておこうと思った。

どう受け取ってもらえたのかはどこまでもわからないけれど、ジャマルは深く納得した様子だった。

翌朝

結露が半端じゃない。湿度を調べてみると60パーセント。砂漠地帯といえども海近くなると湿気は上がったりするのかな。

朝もカフェで作業をしているとジャマルがお茶とパンを用意してくれた。

パンは自分でパスタとレンズ豆を茹でてケチャップをかけてサンドイッチにした。

それからジャマルとガッツリ握手をして、お礼を伝えた。平和を愛する柔らかな空気が印象的な男だった。