HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

モチベーション下がり、静まる(M'ssici إمسيسي→Imi n'Izrou إيمي إن أوزرو)

走って走ってWi-Fiのあるカフェに夕方5時ごろに流れ着いた。走っている時から「到着したらブログを書くぞ」と気合を入れていたけれど、いざパソコン開いて向き合うとやる気が起こらなかった。無理矢理動かそうと思えば手を動かすことはできる。でも分かる。それをやると辛くなる。ただ消耗するだけになる。

モチベーションが下がっている。昨日一日ネットにつながらない状態を経て今日開いたアクセス数の少なさを見て「ああ、やっぱり今のこのブログのやり方じゃ読み手にとってつまらないだけなのかな」と残念に思ったのは大きい。

他者からの承認は自分の本当のゴールじゃない。分かっていても、やっぱりこうして目に見える数字で表された時の、その権威性というか、パワーは大きいと未だ感じる。

とはいえ、その権威性を実在するものとするか、虚構とするか、その選択は本質的には自分に委ねられていることを頭では理解しているので、残念さに飲まれ、焦燥して、不足した承認を得ようと手足を動かしてしまうのではなく、止まって静まり、引いた視点から自分を見つめ直すことにした。承認がないことを残念に思うその視点はそもそもどうやって自分の中に作られたのだろうと問いを浮かべる。

手は動かさず、深く深呼吸をしたり、ぼーっとしたりして、ただ待つ。力んでいた筋肉は緩み、臓器が若干低い位置に収まる感じがする。これだけでも、ガツガツと前のめりに力んでいたのがわかる。

「もっと手放そう」とうっすらぼんやりアイデアが浮かんで来た。成果も、評価も、人に与える喜びも。まだまだ古い自分の癖でつい背負い込もうとする色々な課題や使命や欲求を。遊べばいい。休めばいい。手放して何も持たなくなったペラペラの自分で自由に。

結局、特に何も具体的前進はなかった。夜のカフェのテラス席にで瞑想系のゆったりした音をパソコンから流し、椅子の背にもたれかかってぼーっとしていた。ブログの更新が遅れてしまっても、何日かかってでも、手放して「ただの自分」に落ち着くことが大切だと思った。

〈写真〉

道路脇にあるノマドのテントらしきもの。

何もない道を進んでいく。

これはお土産物やさん。隕石から加工したアクセサリーや土器を売っているという。よく見かける。

道路沿いの休憩所の看板

休憩所はこんな感じで見えてくる。

民家

農家さんの畑。何を育てているんだろう、こんな砂漠でも農業ができるんだ。

村が見えてきた。パンとみかんを補充しようと立ち寄る。

デリジャ(モロッコアラビア語)、ティフィナーグ(アマズィアの文字)、そしてフランス語で表記。

果物屋さん、ナッツやスパイスもある。

マーケット

ホブズ(パン)は大抵木の棚の中に入っている。

・・・

日が暮れ始めたら作業場所兼寝場所を捜索。

流れ着いたガソリンスタンド

その付属のカフェ。今日はここでテントを張らせてもらえることになった。

ガソリンスタンドのカフェの従業員、イスマイルに「パンを売っているか」と尋ねると彼は無料で分けてくれた。さらには「チーズも要るかい?」と分けてくれた。

旅をしているという話をすると感心してくれたらしく、一緒に写真を撮ろうと誘ってくれた。ありがとう😊

屋根と壁のある場所で安眠できた。

翌朝も、イスマイルは朝食を用意してくれた。ちょっとでも食べられるとすごく楽なんだよね。ありがとう。

カフェの中のカウンターに置いてあったポットやタジン鍋