HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

自分の考えを言葉にする(Khemisset Chaouia الخميسات الشاوية→Skhour Rhamna صخور الرحامنة)

8時くらいにようやく日が昇ってくる。霧がかかっていてけっこう肌寒く感じる。

無性〜に気分が悪い。お腹が空いているわけでもなく、体力的に疲れているわけでもない。病み上がりといえば病み上がりだけど体調は悪くない。ただ、嫌な感じがする。モロッコでのこれまでの旅を思っても、これからの旅を思っても、いやーな感触ばかり浮かんでくる。

こんな風に無性に気分が悪い理由は本来自分の中心に置かれているべきである意識の重心の位置が、中心から遠ざかり、外側過ぎる位置にズレてしまっているからです。

外側というのは本当に、外側、自分の意識以外の全て。環境が気になって不快を感じまる。寒い。自分の身体が汚い。風邪っぽさがほんのりとだけ残っている。景色がゴミだらけで気分が悪い。前に食べたビサラの影響でお腹を下している。人が全然親切じゃない。言葉が通じなくてろくなやりとりもできない。すぐ「中国人」と声をかけて来やがって鬱陶しい。

こんな風にすでに万事の認識にネガティブ寄りの感覚がかかっている状態を放っておくと、更にネガティブ方面に発展した思考をはじめます。

この前、出会ったあいつはカフェからぼくを追い出して酷かった。モロッコは全体的に良い人が少ない。ヨーロッパは良かった。この先もずっとアズィズさんのような良い人間に巡り合える気がしない。アフリカ旅は全日程苦行確定だろう。自分に耐えられるだろうか。いや、そもそもそんな苦行をわたしは本当にやりたいのだろうか。

どんな思考を重ねても、その全ては確証のないはっきりとしないことであり、まだ発生していないという点において同じです。こうなると目の前の一瞬を楽しむどころではなくなります。「今ここに居ない」とも言えます。この状態は心身への負担が非常に大きく、それでいてメリットは皆無です。この状態に甘んじているようではサヴァイヴァルは厳しくなるし悪化するとギブアップもあり得ます。故に、この、意識が外側にある状態から脱し、意識を中心に戻して自分の本来のペースに戻りたい。

で、これは最近得心したことですが、わたしにとって意識を自分の中心に修正するためのキーは自分の考えを自分の言葉で語ることです。具体的にこうしてちゃんと書き言葉にすることが今は一番有力。旅先のリポート関連はあまり重要ではなく、自分の考えついたことのほうが断然良い。ますます自分の関心が旅そのものと直接関係ないことが明らかになっていますがそれでも構わない(本質的には関係あるものだと思うけど)。

これさえできれば全く旅らしいことなどできていなくても自分の人生の本筋を進めて行っている感じがしてスッキリとした心地でいられます。ブログの毎日更新は旅を共有するという読者向けのサービスであるように見せかけて、自分の調子を保つシステムであると言って良い気がします。しばらくこの動きを観察して確かめてみたいと思います。

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ワールドカップはいよいよモロッコvsクロアチア戦。作業していたカフェのテレビで試合観戦しようと続々人々が集まってきます。試合開始直前に店を出るときはもっと人で埋まっていた。

今日は赤土が広がる景色でした。

大体カサブランカマラケシュの中間くらいまで来ました。

途中立ち寄ったガソリンスタンドでオレンジジュース1Lを買ったら10ディルハム(140)円でこの薄さでした。自分史上最高の薄さのオレンジジュース。。更にパックの口がおかしなつき方になっていて、カップに注ぐときにこぼすこぼす。

さらにさらに、日が暮れても漕いでいく。

夕方にたどり着いたガソリンスタンドのカフェにて、敷地内でテントを張らせていただけないか交渉した。すると、外は車を運転する人たちが時々大音量で音楽を流したりしてとてもうるさいので、たいていのガソリンスタンドにあるムスリムのお祈り部屋で横にならせていただけることになった。

夕食も用意していただいた。ほとんどちゃんと話すことはできなかったけれど、小さな心遣いは自分にとっては命がつながるくらい貴重です。

眠らせていただいたお祈り部屋。ちなみにこちらは女性用のお部屋。特例で使わせていただけるとのこと。途中お祈りのために女性が入ってきたので思い切り眠っているふりをしていた。