宿は居心地が良い環境だったので午前中ゆっくりしてから出発。
今日も快晴だった。
止まって地図を確認している時に車が近くに止まって、運転していたおじさんが笑顔で英語で声をかけてきた。50歳くらいに見える。彼も昔自転車旅をしていたことがあると言っていた。
クロアチアの印象を尋ねられた。こういうことを尋ねられるといつも言ったことのある観光地の名前を挙げて「〇〇良かった」と言うくらいしかできなくて、この時はまだどこも行ってもいないのでモゴモゴ「良いところですね」とか言っていると「ここでは戦争があったからまだまだ発展途上なところがあるんだ」とあちらから切り出してきた。「当時壊されたままの建物がたくさん残っている街があるよ」という話も聞いた。
1991~95年の間のクロアチア紛争。やっぱり住んでいる人の中には戦争の歴史をまず知ってもらいたいという人が多いのだろうと思った。自分には全然知らないことなのでそこから特に話を広げられるでもなく、自分の行き先の話になった。「自分の家はそこから遠いなあ」と言っていたので泊めてくれることを考えてくれたのかもしれない。
お菓子をいくつかいただいて笑顔でお別れ。また自転車を漕ぎ出した。
この写真は違うかな。いろいろな家の前に大きなモミの木が立っていて、「おお、本場のクリスマスツリーか」と思いながら走っていた。この写真のきは違うかもだけど。
日が暮れて、今日も宿を探す。
最初に立ち寄ったバーでおじさんに翻訳機を見せて心当たりなしだった。さらに先に進もうと路上で地図を確認。
そして顔を見上げたら、先程のおじさんがいつの間にかすぐ近くの宿屋の前に立っていて、手招きしている「部屋代を出すから泊まっていきなさい」とのことだった。いや、そりゃ申し訳ないです。ぼくほんと寒くてもキャンプできるんです迷惑じゃなければ。でも良いなら甘えさせていただきます🙏
結局その宿にはオーナーが不在で、数キロ離れた別の宿に移動し、そこのお部屋に泊まることになった。
ブラジェンコさんという方だった。ずっと無表情だったのだけど、とても親切にいろいろ気をかけてくださって、100クーナ(1800円)もいただいた。忙しいからと早々に立ち去る背中に拝んだ。
部屋は簡素だったけど体を休めるには十分すぎた。
窓からは街の中心広場を眺めることができた。