HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

何度同じことで間違えても(ネミラNemila)

今日は全然ダメだった。1日中アニメや漫画をネットで見たりしてお休みみたいな一日だった。そうやって過ごしているとだんだん自分には何もできないんじゃないかって気がしてくる。自分程度の者がこの手足を動かしたって何も変わらないのさ、というニヒルな気持ちになってくる。書いててほんとアホだなあと思えるくらいにはそれが間違いである自覚はあるのだけど、こうやって飲まれてしまうとダメだ。自分の操縦の失敗だ。

昨日ブログをたくさん更新してちょっと疲れたのかもしれない。このブログの更新はなかなか辛いから。いや、辛いと言っておきながらツッコミたくなるのだけど、ほんとは疲れてしまうんじゃなくて、こんこんと湧いてくる水のように全てを楽に楽しく続けられるんじゃないかと思っていて、そうなれるように模索している。

それでもまた疲れちゃったのだ。

疲れてちゃうまで頑張ったり、部屋に引きこもって元気なくなるなんてこれまでも何度もやってきたことで、ずっと同じ間違いをしているなあと落ち込んだ。

でも何故かこの日、なんかこう、そうやって、同じことで間違い続けてそれでも続けて生きていくことに不思議と明るさを感じた。多分失敗の数が重なりまくって自分の中の飽和量みたいなのに達して「もういいわ」という感覚が出始めて来たような気がする。

ぼくはたくさん間違える。それも同じ間違いをたくさんする。なんども行き詰まる。何度も迷う。そうして一生大した進歩もなく、小さいままでこの生を終えるのかもしれない。

それでも、歩くことができる。本当に物理的に足を動かして、昨日とは違う場所に行くことができる。それだけはいくら間違えたって積み重ねていくことができる。そういう人生もまた愛おしく感じた。

バシルがご飯を作ってくれた。シンプルだけどぼく好みのB級グルメ。美味しかった。バシルは本当に優しくて頼りになる。カフェで会うみんなも「バシルはいいやつだ」と言っていた。26歳。ぼくよりも年下ながらぼくの兄貴のようにぼくを助けてくれる。

ほぼ一日部屋にこもって暗くなっていた気持ちもバシルの部屋に入ったらすごく明るくなった。「どうでも良いか」と思えてきた。人を煩わしく思うことはよくある。でも一人でいるだけでは本当にどうしようもなくなる。一人の時間も誰かと一緒の時間も自分には両方必要だ。いや、それは大体誰でもそうか。そうやって何回も同じことで落ち込んで同じことを思い出して、そうしながら続けていくんだろうな。それでそこに尊さがあるんだろうな。

そしてそれを思った時、どこまでも、自分のペースでやってりゃ良いかと思った、本当に全てを。書くことも、どのくらいのことをどんな口調で書くのかも、撮ることも歩くことも生きることも。自分の中のそのまんまをここに置いていく。

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