家の庭にテントを張らせてくれたのはご夫婦ではなく、ご姉弟だった。
昨日家に招き入れてくれた弟のニコラさんは仕事に行ってしまっていて、お姉さんのサンドラさんが朝食を持ってきてくれた。
これがまたすごくおいしかった。
チーズとミルクとほうれん草の混ざったパンケーキみたいな感じ。コーヒーも一緒に出してもらったので至福だった。
サンドラさんはぼくが写真を撮ると聴くと家を案内してくれた。
柘榴やみかんやキウィ、いろんな果物の木とニコラさんが好きで集めた古いものをたくさん見せてもらった。
サンドラさんのお母さんと友人の方が集まってお庭で一緒にコーヒータイム。
サンドイッチも作ってもらった。生ハムと何種類かのチーズの美味しい組み合わせ😊
三人でセルビア語で話をしている。時々サンドラさんが英語で会話のトピックを教えてくれた。主に食べ物について、だったらしい。
サンドラさんはとてもハートが開いている人だなと思った。
料理の味はお母さん仕込みだということだそうです。
サンドラさんは歩行障害を持っているようだった。症状の名前を知らないのだけど、見たところ両足共に内股状態になって力が入らないような感じだった。とても明るく「コーヒーを淹れてくるね」と言って家に入っていくその動きはゆっくりしていて時折横転するんじゃないかと心配になった。
サンドラさんが自ら打ち明けてくれた詳しい事情はうまく聞き取れなかったけれど、数年前の「医療ミス」が原因だったそうだ。「モンテネグロの医療技術は十分でない、日本のことも調べたけれどサービスが充実していて羨ましい」とも言っていた。
ぼくはそれが自分の取り柄だと言えるくらい健康で、医療にお世話になる機会が他の人よりも圧倒的に少ない人生を送ってきたと思う。だから医療というものが本格的に「自分ごと」になったことがないのだと思う。日本のことも、世界の医療事情についても「知らないことしかない」ってくらい何も知らない。そんな自分が彼女に返せる言葉など見当たらなかった。
ただ、ありきたりのこととしてだけど、リアルに想像できるのは、優秀な人材はより豊かな暮らしができる環境に移ってしまう。「豊か」の意味合いのほとんどはやっぱり経済面で。バルカン半島の国々で言えば、アルバニアとかモンテネグロよりも、ドイツやスイスのような、金払いの良い西ヨーロッパの方へ、より余裕のある暮らしを求めていく。自分自身や自分の愛する人のより豊かな生活のために。
医療だけじゃなく、きっとどんな方面でも、経済がうまく回っていない場所では、そうやって物事の質というものが相対的に落ちていかざるを得ないのだろうと思う。経済には本当にたくさんのことが左右される。それが摂理となっているのが現状の人間社会なんだと改めて実感した。
自分もその一部を構成している一人に過ぎないけれど、改めてこうして俯瞰する機会を得ると、やっぱり生き心地の良いものではないと直感的に思う。だからそこに対して自分にできる行動選択をいつも頭の中の片隅で考えているところがあって、それを踏まえて今のスタイルでの旅を選択して生きている。けどまあ、やっていることといえば何にも大したことはない。いつもその人間社会の中で生きる誰かに助けてもらいながら、自分の足で移動して写真を撮って日記を書いているだけ。
けれども多くの人とちょっとだけ違う生き方を模索しながら生き続けて行ってできていった軌跡の特殊さを、何らかの形で世の中に還元できるかもしれない、そして、したい、という気持ちがある。歩み進んでいった先に、このやりきれなさに対する答えになる何かを掴むことができるんじゃないかと、明確な根拠がないけれど予感している。このモヤっとするものも一つの伏線になるかもしれない。
まあ、それはそれとして。
何より今はぼくに手を差し伸べて助けてくれたこのご家族に心から感謝です。
出発する前に最初に家に招き入れてくれたニコラさんにもご挨拶しにいった。自動車整備士さんだ。
爽やかに別れの言葉を交わした。
夜になって忘れ物に気がついて取りにいった時も夕飯をご馳走してくれた。美味しいビーフシチューだった🙏