HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

力みが抜けていく(スコピエ Скопје)

依然として作業に取り掛かっているけれど進みはいまいち。イメージや感覚の方が整ってくるのは良いけれど、具体的にはどうやっていこう。

書くほうに時間を注いで歩けなくなったら本末転倒。かといってただ歩くだけでも納得しない。自分の求めるイメージと現実とのすり合わせに腐心する。

 

夕方からエクレムアービーとモスクへ&友人にご挨拶。お誘いに乗っかることで良い息抜きになる。

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お祈りのあと、モスクで学習会。モスクの静かで居心地の良い空間で話し声だけを聴いてリラックスしていた。

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お夕飯😊

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バルコニーから綺麗な夕日が見える。

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旅の中で日々いろんな出来事に遭遇し、いろいろな反応をする。その反応について精査して「あ〜、あれもこれもぜんぶ自己否定か」と納得が行ってきた。

それがどんどん繋がっていって人生全般うまくいかなかった(気がする)ことは大体全て自己否定から始まっていた、という視点が持ててきた。

本当にいろいろなことを自分でねじ曲げて悪い方へ悪い方へ捉えて自滅した件の多いこと多いこと。

何事も「そのまま受け取る」って結構できていないものだと思う。

自分の自己否定感は目に見えるレベルだと大抵「力み」で現れているので力を抜く(スポーツやってたころの課題もいつも「力み」の克服だった)。

そのまま、物質としての自分の肉体も全て溶けていってしまい、意識体だけになってしまうくらい力を抜く。

力が抜けるとイメージでは「立たなくても良い土俵に立っていた」ことに気がついて、自分で立つ土俵を自由に選ぶことができる。これが余裕を生む。

今後につながる大きな感覚の繋がり方だった。