今から一年以上前。2019年1月末。
初めての海外自転車旅。ベトナムを走っていた。
ジモティーで中古で譲り受けた細身の古いロードバイクを日本で2年間ほど乗り回し、それをそのまま海外に持っていって走っていた。荷台はないので全荷物を自分で背負っていた。
自転車はすでに半壊している状態で、10日ほどでギアが壊れ走行不能になった。こんな夜道で走れなくなってしまって流石に焦った。
そこに駆けつけてくれたのがたまたま出会って連絡先を交換していたミン君だった。
ミン君に近くの自転車屋を何件か案内してもらい、ゆっくり考えさせてもらい、当時いただいた投げ銭でギリギリ購入した。ASAMA、台湾のメーカー。約3万円。
古い自転車はミン君に引き取ってもらい、新しい自転車を迎え入れ。
ミン君はこれからのことを考慮して家に置いてあった板木をナタで切断し
後ろの荷台にくくりつけて荷台を作ってくれた。
DIYに疎い自分は「そんなことができるんだ!」とものすごく感動した。
こうして我が手元にやってきたのがここまで乗って来た自転車だ。
「ヒロ君の新しい友達だから大事にするんだよ😊」とミン君の笑顔が忘れられない。
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「新しい友達」と旅に出て1年と数ヶ月。まだ短い方だと思う。
その自転車が名も知らぬ誰かに持っていかれてしまった。
この二日間、警察や地元の人からの連絡を待っていても自転車は見つからなかった。
自転車がなくなっても旅を続けることはできる。
なんらかの方法で新しい自転車を手にすることもきっとできる。
けれど、このミン君の手垢がついた自転車は返ってこない。
こんな形で失ったことはとても残念で心残りだった。
ミン君に連絡をしたら自転車よりもとにかくぼくの身の安全の方を心配してくれていくらか救われた。
自転車はもう返ってこない前提で作戦を立てた。
こんな時代だ。
生き方なんてなんでもありだ。
自転車をまた買うこともできる。
手持ちは6万円以上ある。
新車だって現実的に買える。
生活やその他の費用の方が苦しくなってもお金を募ることもできるだろう。
そのために何かしら仕事っぽい仕事もできるだろう。
自転車にこだわらなくたって歩いて旅をすることもできる。ヒッチハイクもできる。
なんでもできる。優劣、正誤は幻。なんでもあり。
そんな前提の下
まず、歩いていくことを選んでみた。
歩いて旅をすることの面白さを知っていたので、いずれまたどこかでやりたいと思っていたし、歩くことで巻き起こる様々な巡り合わせが重なって、誰かが自転車を譲ってくれるようなイメージがあった。
お金を自在に集めることもできるのだろうけれど「何も持ってなくてもできることがある」みたいなことを自分はやってみたいようだ。
この日、自転車のない新しい旅を始めることにした。
というところまで行って歩いたその夜
友人たちが自転車を見つけ出してくれた。
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朝からまた同じカフェで作業をした。
気が動転してなかなか書けなかった盗まれた当日のブログが書けた。
いままで出会った人の中から何かしらの突破口がいただけるかもしれないので
いつもシェアしていなかったけれど、ブログ記事をFacebookを使ってシェア。
自分はこういうアクシデント系の発信をするのは結構躊躇う。
ネガティブで荒々しい反応を見たくないから。
盗んだ人への怒り、不注意なぼくへの非難、旅とか世界への恐怖
感情の矛先や感情の中身はなんであれ、
心地良くない感情が飛び交うのは好きになれない。
自分は起こってしまったことを報告することで自分を含めた誰かを責めたいのではない。
ただ、次の一手を見出したい。
そしてできれば「まあなんとかんなるよ」と穏やかな気持ちで見てて欲しい。
それが本当に「なんとかなる」ための助けになるから
幸い、この時はコメント欄にお祈りのメッセージをたくさんいただけた。
笑っていてくれいる感じの人もたくさんいて嬉しかた。
直接メッセージで心配してくれる人もいた。
ちゃんと向けられた祈りというものには本当に力があると思っている。
どんな現実も創造しているのは人の根っこの感覚だと思うから。
作業を大体終えたお昼過ぎ、デヤンという昨晩パーティをご一緒した青年から差し入れの杏ジャムとサンドイッチをいただいた。
もう3日間毎食、この村で何かしら用意していただいている。ありがたいのなんのって。このあたたかさがなかったらもっと荒んでいたと思う。
空き家に戻って出発の準備。
歩き旅を始めるに当たって辛いのは自転車の時に積んでいた荷物を全て持っていくことができないこと。なので荷物調整をする。
服と、寝袋と、ヘルメットに食材いくつか。
2kgくらいの減量。歩き旅となればこの減量は大きい。
でも、やっぱりそれぞれ何かしら思い出が染み込んだもの。
手放す時にこう、グッと覚悟する。お別れだ。
そのまま道端のゴミ箱に捨てるのは嫌なので、せめて地元の青年たちに引き取ってもらえたらと思って空き家に残していった。
見た目はこんな感じになった。
持ってみた感じ総重量は40kgくらいに感じた。ズシっとくる。
けれど不可能な重さじゃない。そのまま空き家をあとにした。
空き家、二晩お世話になりました😊
カフェに立ち寄る。
最初にぼくをいろいろ助けてくれたフィオルディに挨拶をしたかった。
けれど、この時は弟のマテオしかいなかった。
いろいろとお礼を伝えると
「コーヒー飲んでく?」とエスプレッソを注いでくれるマテオ18才。
菓子パンもたくさん差し出してくれた。ありがとう😊
リン、大きな事件はあったけれど本当にあたたかい人がたくさん居る村だった。
いろいろな面で忘れられない場所になった。
いよいよ本当に出発。
流れる景色がとてもゆっくりだ。
リンの家並みが遠ざかる。
線路を超えて
大通りに出た。荷物の重さで肋骨とか胸骨のあたりにじわりと痛みが走るけれど、耐えられないほどじゃない。歩ける。
道端の教会。
鍵もかかっていない自転車が落ちていた。これはもしや、早速拾うパターンか!
と反応してしまうけれど流石にそれはやめておいた。
周囲に人は見えないけれど、誰かのものかもしれない。
ゆっくり歩いていると写真を楽しみやすいのも良い。
歩き旅スタート記念だ😃
湖の魚らしきものが路上で販売されている。結構大きかった。
日が暮れる頃にキャンプ場の看板を発見した。ダメ元で尋ねてみると、特別に無料でテントを張らせてくれるとのことだったので、今晩はここに泊まることにした。
ありがたい。湖畔の気持ちのいい場所だ😊
歩いた時間は2時間、8kmほどしか歩いていないけれどもう筋肉痛の予兆がきていた。体のケアも必要になってくるなあ。
電力もあるしシャワーもWi-Fiもある。いい場所だ。
テントの中で作業ができる😊
暗くなるまでテントの中に籠って作業をしているとFacebookメッセンジャーでコールがかかってきた。フィオルディだ。
「ヒロ!自転車が見つかったぞ!」
ええ!?
ビデオ通話で画面の向こうに確かに自転車が写し出されている。
「今いる場所まで持っていくから待ってろ!」
やってきたのはフィオルディと弟のマテオと、昨晩パーティを共にした何人か。
みんなでわいわい自転車を運んできてくれたようだ。
それは紛れもなく、自分の自転車だった。
そして、歩き旅だと持っていけないからと諦めて置いていったヘルメットや寝袋も持ってきてくれた。さらにはパンやチーズにソーセージや野菜も持ってきてくれた。
発見した時の様子や、詳しい場所は聴けなかったけれど村の中の茂みに投げ捨てられていたと言っていた。それをたまたま青年の一人が発見してくれたらしい。
夜は23時を回っていて遅かったので青年たちはすぐに村に戻っていった。
何事かと外に出てきたキャンプ場のオーナーさんは事情を聴くと大変気の毒に思って「明日は朝食をご馳走するよ」と言ってくれた。
表情は怒っているようだった。やはりアルバニアで旅行者が大変な目に遭うのが我慢ならないご様子。アルバニア人のホスピタリティを改めて感じた。
また自転車とテントのある風景を撮れるなんて、嬉しい😊
自転車探しに動いてくれた彼らにはもちろん感謝だ。これからもずっと印象的な出来事として語るであろうもの凄いことを、彼らはやってくれた。
が、自分はこの時、それに負けないくらいの祈りの力の凄さを感じていた。
世の中基準で言えば行動ばかりクローズアップされるものだけれど(日本から出るとより強く感じる)、自分はそのもっと根元に魂の向きのようなものがあって、それが起点となって現実が生まれていくのだと思う。少なくとも自分の生きている現実はそういう構造になっていると思う。
たくさんの祈りのメッセージやメッセージを発しなくても何かしら想いを馳せてくれた人たちの力がこんな形になった。ただただ、感謝だった。
オフリド湖畔の5月の夜はとても涼しくて気持ちよかった。