HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

芯(Northallerton→Cawood)

どれだけ長い距離を走れたかどうかでもないし、どれだけたくさんの国に行けたかでもないし、どれだけたくさんの知見を仕入れたかでもないし、どれだけたくさんのフォロワーがついたかでもないし、どれだけ多くの人に讃えられたかでもないし、どれだけ人を愛せたかでもないし、どれだけたくさん儲かったかでもない。

他人から理解されるような何かを人生の功績として求めたくなる気持ちはもちろん自然なことだろうし、自分もずっとそうだった。

今は、人生ただ芯で感じているだけで良いと思う。何をしてもしなくてもいい。することというのはほぼ自然発生的に現れてくるものだけで良く、それが世にどんな影響を与えることになっても良いし、逆に何もないなら何もしないまま逝っても良い。

ただ自分の場合「芯」というのはなかなか肝心で奥深い。自分が「芯」になっていないと感じられる瞬間はまだまだたくさんある。たとえばどこに旅をすると見ている人から好かれるだろうか、とか、どんな発信をすればウケるだろうか、とか、社会の貢献になるだろうか、とか、要は自分じゃないもので考えている瞬間のこと。

逆に「芯」だと感じるのはなんだか楽しく感じられる時、なんだか笑えてくる時、なんだかスッキリする時、なんだか充実している時。そういうことって自分以外の他者とか社会とかと関係ないことが多いからなかなかそこに居続けることを頭でキャンセルしてしまうことが多い。

この旅する時間をただ「芯」でいられるようであれたらと思う。

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キャンプをしたところのすぐそばにあった大麦の畑

家のドアをノックしたり声をかけても返事がなく、挨拶できなかったので手紙だけ置いて進むことにした。

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「Honesuty box(直売所)」ならぬ「Honesty cafe」を発見した。

個人の家の倉庫を改装して創っているらしく、建物の中にスタッフはいない。コーヒーとかジュースとかアイスが値段と共に置いてあって自由に飲み食いできてお金は箱の中に自主的に置いていく。いつもただ座りたいだけの自分にとってこれは便利だ。

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イギリスの中で最も「イギリスらしい」というヨークに夕方到着した。確かにものすごく古そうな建物は見える。観光しようか迷ったけど、いく理由と言っても見ている人が喜びそうだというだけで、自分が心惹かれてる訳ではない。時間ももう泊まる場所を探したい時間なので、スルーすることにした。

だんだん自分の中で観光らしい観光はキッパリ端折っても良いという感覚が強くなってきた

夕食はパンとベイクドビーン。総じて60ポンド(100円)を切る。イギリスではたとえ無支援でも無銭生活がやりやすいと思う。

今日は何件か豪邸のドアをノックしてみたけれど出てきた人は終始怪訝な顔のままキャンプ場の場所を適当に案内するだけだった。大きくて立派な庭でテントを張れそうだったけれど、もちろんスペースがあるかどうか持ち主の心次第ということになる。

街から離れたところに構えている自転車修理屋さんのお宅の人の庭にテントを張らせていただけることになった。先の豪邸の方々との対比でよくわかるのだけど、受け入れ得てくれる人ってもう顔を出した瞬間笑顔でオープンな空気が溢れているように感じられる。