HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

世の中甘い(Gretna)

7月が始まった。「好きなだけ居て良いよ」というドギーさんの言葉に甘えて気が済むまで作業させていだくためキャラバンをアジトにして一日中作業6日目。

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「世の中甘くない」なんて言葉は多くの人が知ってることだし信じてることで、世の中を知らない子供には大人がその前評判を浸透させ、気をつけるように構えるスタンスが社会には普及しているように思う。

でも実際、本っ当に、わたしは甘々な世界で生きていると思います。旅しているこの約2年間はもちろんだし、ぶっちゃけフリーの活動を始めた8年前からそうだろうな。自分のやりたいことだけやってたくさんの人に助けてもらって楽しく生きている。

稼ぐための仕事は一切できてない。自分の足で行きたいところに行くライフワークに集中。それがビジネスになったりはしない。このブログで旅した自分の放つエネルギーを価値として、設置している投げ銭窓口にいただける送金を対価とするのが当初の構想でした。けど実際、送金してくれた人とのやりとりをした感触では、みんなぼくに贈与してくれているのであり、交換が本質であるビジネスとは程遠い構造になっているのが実情のように感じる。なので総じて稼ぐための仕事はやろうとするもできていないと思っています。

社会生活を運営していくのに必要な継続的な人間関係の構築も一切頑張らない。家族、恋人、友人、子供、自分の時間とエネルギーを使って保持すべき人間関係や保護すべき人命は一切ない。果たすべき責任も一切ない。同時にそこで得られるやりがいや充実感も一切得られないことになるけどそれは現状自分の欲しいものではない。自分以外の誰かのために生きることは自分が楽しめる範囲までしか意図しないし、社会貢献なんて大それたことも意図していない、というかできない。

およそストレスとなり得るものからフリーでいられる。

もちろん、この生き方ならではの厳しさもないわけではないです。いつも出費0円を目指して24時間365日節約を意識するが故、自炊ご飯は米とパスタとケチャップだけだし、シャワーも毎日浴びられるとは限らないし、安全に眠れる場所にたどり着ける保証はない。人に助けてもらうために恥もプライドも気にしちゃいられない。迷惑そうな顔をされることもあれば冷たい反応にメンタルがぐさっとやられる可能性もある。そもそも自分の足で移動すること自体、多くの人にとっちゃなんの得にもならないただの苦行です。一応、およそ一般の暮らしとは別種の厳しさを味わってはいるのでしょう。でもそれらは自分にとってはもはや人生を楽しむためのスパイスというか、健康のためのランニングみたいなもので、楽しめるくらいにまでなってきたので、厳しさにカウントするのもどうかと思っているくらいです。

なので、総合すると自分はやりたいことしかやっていないように思われます。

それでいて、衣食住もお金も、生命活動を維持するために必要なもののほぼ全てを、現地の人たちや遠くから見てくださっている人たちにただただ助けてもらい続けている。身体は全然壊れない。鬱になる程気分を悪くしないし、殺したい人はいないし、酒もたばこも必要ない。エネルギーが落ちている感もない。

若い頃に漠然と想像していた「世の中甘くない」とは全くかけ離れている。

今日も作業しながらつい手が出てしまうネットサーフィンで実感したのだけど、この若かりし自分が想像していた「世の中甘くない」で成り立っている社会というのは確かにある。

でも、この甘い生活で「そうでない生き方もある」ということを知った。若かりし時の自分は「自分の今立っている場所だけが世界の全て」だと信じ込んでいたからただただ甘くない世の中に不安と絶望しかなかったけど、そうとは限らなかった、全然違う生き方だって存在した。諦めずに模索して良かったと思います。

自分が信じ込んでいる世界観から離れたところに、自分にフィットした最適解はあるかもしれない。ただ自分の生活を綴っているだけのこのブログは他人に見てもらうものである以上、その最適解にたどり着く材料になったら幸いです。きっと自分と同じようなことで苦しんだ人に届くのでしょう。

「世の中甘くない」という人ばっかりなら「世の中甘い」って言える人間でいるのが面白いと思う。