HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

人の輪の中で生きる私の命綱(Glasgow)

引き続きグラスゴーの友人、ジェイク宅にて1日作業。お母さんのシーナと一緒に買い物に行って、夕食のために野菜を洗って、夕食後に同年代フレンズとゴミ捨てと買い物のために出かけたことくらい。

仕事から帰ってきたみんなからはいつも「今日何があった?」と尋ね合う。みんな職場でのことを話したりする中、自分もお世話になっている分何か面白い話題や気の利いた話題の一つでも提供したい気になる。

パソコンに向かって日本語でちまちま書いたブログなんて面白くもなんともないだろうと思って引っ込めるので、みんなからずっと家の中で何をしているのかわからないがとりあえず不健康なやつだと思われていそうで心配になる。

ぼくの心身はどうやら他人との関わりの中で生きていくことがテーマになっているということに納得してるけど、それ故に自分の心の救いになったのはとある人のブログ記事だった。

好きなことは自分一人で完結するような瞑想とか作文とか筋トレとか楽器演奏、チャネリングだけ。リアルでの交流は必要最低限以上求めないしSNSもやらない。それはインナーチャイルドが癒やされていないとか色々疑ってみたけれど、結局のところ全て自分で選べる故、その自分のままで良いのだと清々しくなったという。

他人に認められてこそ一人前、みんなと一緒に遊びなさい、みんなと同じことができるようになりなさい、お金を稼いで使いなさい、尊敬されるような人になりなさい、フォロワー〇〇人以上のために、世のため人のため尽くしなさい、愛(限定的な意味での)こそ全て、何歳までが結婚適齢期です、子を思わぬ親などおらぬ、etc...

自分の視点から世を眺める限り、政治、経済、道徳、芸術、そもそもの社会設計ありとあらゆるチャンネルを介して「いろんな他者と繋がっていなければ良い人生とは呼べませんよ」的なメタメッセージは溢れていると感じる。

そして自分もまた人と関わっていくための心身設計だからだろう「その通りだ」と固く信じているところがある。それ故過度に悩み、親しい人に迷惑をかけ、時に殺してしまいそうになることもあった。

だからこの一人を選ぶ人の姿に影響され、つい真剣に捉えがちな繋がりというものに対して「あってもなくでも大丈夫」と力を抜いて捉えられるようになれることは、自分にとってとても大きい。

きっとこれから自分は自然と他者との良い繋がりを築くために動いていく。だがそれ故に命綱のような、お守りようなものになるのは、一見全く持って正反対の生き方をしている、会ったこともない人の放つバイブスである。