昨日撮影・編集した写真を見やすいようにフルスクリーンでパソコンに映し出した。実際に渡すのはもっと多いけれど、こうやって見るときに楽しめるよう100枚くらいに絞った。
レベッカさんはゆっくり一枚一枚ゆっくり眺めてスライドショーを進めていった。あった時から感じていたけれど写真が好きな人だ。その感性や価値観はぼくも共感するところが多い。だから反応が楽しみだし、怖くもあるし。横で見てるカメラマンはソワソワです。
レベッカさんは嬉しそうに全てを見てくれて、心境を語ってくれた。
10年以上も前に両親から引き継いだこの家は修復しなければならないところがたくさんあり、物を捨てない両親が残した片付けるべき遺品もたくさんあったそうだ。それをほぼ自分一人で少しずつ少しづつ整理していった。その時の大変さはものすごかったようで、今、ようやく住みよくなってきたことに安堵されているという。
その家で現在はこうして家族が集まって楽しんでいる。自分の苦労が報われたことを写真で確かめることができてとても嬉しかったという。
レベッカさんはお礼をさせてほしいと、ぼくの旅費を心配してくれて現金を封筒に入れて手渡してくれた。その額はぼくが日本で結婚式の撮影をしていた時と同じくらいの金額だった。その大きさに「いやいや、そんな、ぼくは遊ばせてもらっただけです!」と流石に遠慮したくなった。
「でも、わたしはこの写真をこれからずっと味わっていられる、それだけの価値があるものよ」
お金は欲しいような、でももらいすぎのような、と、いつものようにへにゃへにゃしている僕をレベッカさんは軽々土俵の外まで寄り切ってくれた。
かくして所持金は過去最高額に達したのでした。
この出来事は自分に頭の中に居座った固く重たい物をカチ割り、雲一つない晴天を見せてくれた。
自分の持っている力の使い方、他人との関わり方、具体的に生き続けていく方法、この命を使って世界に向け放ちたいもの。ずっと答えがはっきりしなかった問いへの答えは、この目の前で起こっている出来事だ。
ぼくはこうやって旅をしたい。こうやって自分に与えられた時間を使いたい。
この出来事はターニングポイントだった。
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写真を見せた後はずっと作業。ほとんど食べ物だけ。
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昼食は近所の湖近くでバーベキュー
正直、例の出来事からもらった良い振動が凄すぎて、ぼんやり景色を眺めながらゆっくりまとめていた。
偶然立ち寄ったこの場所でいただいたものは果てしなく大きい。
夕飯。
料理好きのターラが挑戦した餃子。もちろん美味しかった。