HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

「行動至上主義」から離れる(レッジョ・エミリアReggio Emilia)

写真の編集を終えて、いつ出発しても良い状態になった。けど、ここ最近の瞑想がとても良い感じだし、ブログの更新は全然進んでいない(笑)から作業もしたいので、もう少しだけゆっくりしていたい。あと三日間滞在させていただけないかを尋ね、オッケーしていただいた。ありがたいです。

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「行動こそが正義」という信条が高校生の頃からずっと強く自分の中にある。どんなに素晴らしいことを思っていたって行動しなければ意味がない。手足を動かし目の前の現実に対処しなければ生きた証にならない。

これは男性的な傾向なのかもしれない。

高校の部活動からこの考え方を徹底的に仕込まれ、それこそが正しいと信じるようになり、以来、そういう視点で世界を見るようになり、20代の半ばくらいまではそういう傾向の人と関わりを持ってきたように思う。

が、この信条が変わってきた。いや、変わった、というよりも、次元が変わった、と言った方が正確だと思う。この考え方も一つの正しさだけれど、もっと本質がある。

その本質から見れば「行動」はむしろ全く重要ではない。「行動」が「正義」なのは物のある世界を選んでいる時の常識であり、物のない世界を選ぶのであれば、行動よりも大事なのはむしろ何を映し出すか、イメージや捉え方、目に見えない感覚の方が最重要になり、「行動」はそこに勝手についてくるものでしかない。むしろおまけである。

他人の目に映り評価されるのは無論、大部分が「行動」かもしれない。が、それでも全然大丈夫。いっこうに構わない。その他人を映し出しているのもまた自分自身でしかない。

人生の舵取りで重要なのは手足を動かすことよりもイメージとか感覚を良い状態に保ち続けることだけ。そのために動きを決めて行ったら良い。動くべき時に動き、止まるべき時に止まる。時間にも他人にも決めさせず、全て自分で決めて行って感覚の良い状態をキープする。

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