HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

たまにこんなことで自信を見失う(レッジョ・エミリアReggio Emilia)

Facebookのタイムラインに流れてきたCNNニュースの投稿。とあるYouTuberのお手柄ニュースが目についた。このYouTuberは警察の捜査も打ち切られた行方不明者の捜索をして、湖の底に沈んでいたところを発見したという。行方不明だった方は既に亡くなられていたけど、ご家族の気持ちは浮かばれたようだった。

この件の詳しいことは知らないのだけれど、ぼくが注目したのはこれを見ての自分の反応のほう。こんなふうに個人的な活動で人助けをすることへの自分の憧憬ってものすごくて、目立たない場所をちまちま歩いてこんなブログをちまちま更新していて、誰の助けになってるかも分からんことに時間を費やしている自分って何なんだ、という気持ちが一気にブワッと出てきて自信をなくして何も手がつかなくなる。

自分には時間が大量にあるし、誰かとのしがらみもないし、良いカメラを持たせてもらっているのだから、その余力を使って人助け的なこと、フォトジャーナリズムみたいなことでも頑張った方が良いんじゃないかなあと思う。誰の目から見ても分かりやすい役に立つことをするべきなんじゃないかと思う。

でもそこで毎回ブレーキをかけることにしている。

その、「人」とは何か。「助け」とは何か。「役に立つ」とは何か。それが自分の感覚にぴったりくる形で収まらないと、自分か、自分以外のどちらかが消耗する。このことを旅に出る前に10年くらいかけて体験して把握し、今、こうなっているのだから。

今、改めてそれらの言葉と向き合ってみても、連想されるものはどれも苦しくて重さを感じるものばかりだった。

この件に対しては頭を使って答えを出さない。スッと離れてまた自分のペースに戻る。問いの答えが出るかもしれないし、答えを出す必要がないと悟るのかもしれないし、まあ何も変わらずそのままかもしれない。わかっているのは自分のペースが大事だということ。今日も自分ペースを思い出すことに一日の大半を費やしてた。

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今日のドキュメンテーション

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ぼくと同世代の夫婦が繰り広げる乳児育児+共働きの奮闘記を間近で眺めさせていだたいている。自分から見ればただただ尊敬です。偉大。

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