ぼくは2013年に大学を卒業して、一年半くらいの社会経験と呼べるかどうかも怪しい会社勤めの後、2014年からフリーランスを始めました。勉強したこともないカメラマン。それでもやり方はある。ブログやSNSなどいろんなメディアを使ってセルフプロデュースをしてやっていくイメージがあった。
このときの発信では仕事の内容がカメラマンなのに、ブログとかSNSで発信することは頻繁に自分の考えたことや感じたことを書いていた。精神論とか、人生哲学みたいなテーマに分類して良いのか、、も、、しれない。笑
そんなふうにした理由は、全ての表現物の根底にその人の思想があるものだと思っていたから、というのと、自分が本当に感じたことや考えたことはどこかに必ず共鳴する人、共振する人がいて、それこそが尊いことだ思っていたから、ということだった。後者については自分がそういう影響を受けた側だったもので、真剣にそう思ってやっていた。
でも、少しやってみて辞めることにした。自分の言葉の拙さに耐えられない。思えば子供の頃から全然本を読んでない。大人になってから色んな人の話を伺う限り、自分は全然文章に親しんでこなかったようであることがわかった。自分の持つ言葉の量や作文技術では自分の中の微妙な感覚を捉えることもそれを他人に伝えることもできないと思って諦めた。
その流れは旅に出てからも続いている。ここまでは実際に見聞きしたことを書いたり、写真を乗せたりして「事実」を描写することに徹していた(瞬間的にそうじゃない時も多々ありましたけれども)。旅した人が旅をしていない人に届けるものというのはやっぱりどうしたってまず自分の見聞きしたもの、という固定観念が支配的だったのもあるし。
そんな中で昨日アップした記事群は、その方針にどん詰まり感を覚え、仕方なくかつての諦めを解く、という形になったものでもある。これがまあ〜実際正直どう思われるのかとすごくどぎまぎしていた。言うべきじゃなかったかなぁーと、何度も記事を引っ込めたくなった。
そこにいくつか反応をいただいた。弱音を吐いたような印象になっただろうから、優しいメッセージが多かったけど、その中で印象深かったのは「お前の書くものが好きだ」という趣旨のメッセージだった。
この人からは上記の発信を始めた時も同じようなことを伝えてもらっていた。今回メッセージをもらい、当時の嬉しさとセットで嬉しくなり、当時の発想が自分にとって本当に大切なものだったことを思い出して長らく鎮火していた部分に再び火が灯った。
同時に、拙いだとかウケないだとか何かと自分の外側から理由をひっぱってきて自分が純粋にやりたいと思ったことを封印していると、こうやって心の底から満たされていくような感覚を忘れていくんだなと思った。
旅をして、良い写真を撮って、現地の文化を紹介して、それももちろん尊いことだしまあこれからもやっていくと思うのだけど、それだけにしようと決めているとどんどん自分は萎びていくみたいだ。
「旅人」であることにも囚われなくて良い。自由だ。本当に自由。需要よりも、まず目を向けるべきものが自分の中にはあるはずだ。
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本日も日常ドキュメンテーション。
一日作業の後、マルコと一緒にレッジョ・エミリアの観光がてらサイクリングに出かけた。
墓地
広場
アフリカ系の移民がたくさん住んでいたゾーン。
レッジョエミリア市の実験的小学校。3歳〜12歳の子供たちが同じクラスで学んだり、政府と市の職員が混合であったり、レッジョアプローチがふんだんに取り入れられるらしい。マルコも我が子をここに入学させようと考えているそうだ。
ウサギの放たれている公園。
市の中心にあるコミュニティスペースではみんなが生徒でみんなが講師のパスタ作り教室が開催されていた。
美味しい晩御飯☺️