HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

雨があがるまで出発は見送り(Kastoria Καστοριά)

雨の日が続く。カフェに行ってすっかりお馴染みになった友達と一緒に駄弁って家でゆっくり作業。夜はジョージさんと2時間くらい散歩した。その間はまたいろいろ書き進める。

ジョージさんの提案により、出発は天気が回復する見込みの月曜日になった。ジョージさんの車に全ての荷物を積んでアルバニアの国境を超え、付近の街まで送ってくれるという。自分としても雨の日は事故や機材の破損を避けるために積極的に移動する気になれないので、雨天を理由にあと二、三日くらい滞在が伸びるのは構わない。書く方で進めておきたいこともあるので動けない時はそういうチャンスだ。

自分の好きで旅してるのは良いけれど、他人に喜ばれる何かを創ることが出来ていない意識を持っている。このブログは自分がとにかく過ぎゆく旅の体験を記録しておきたくてこんなスタイルになっているけど、他人が読むものとしては大半の人にとって全然面白くないのだと思っている。だからたとえ少数の人に認めてもらっていても、そのことを思ってエネルギーをすり減らすことはたくさんあった。

でも最近特に、自分の中のその「他人に喜ばれる」の概念そのものが細胞レベルで変化してきているのを感じる。他人とは何か、喜びとは何か、どこまで行っても自分で創作した世界の中での概念でしかないわけで、それを踏まえて見つめ直すと、解釈はずっと広く、深くなっていく。

新しく自分が信仰していきたい世界観は「分かれているけど分かれていない」の感じ。他人と自分は分かれているけど分かれていない。他人を否定すればそのまま自分の否定だし、自分を否定すればそれは他人を否定している。他人のためであることが自分のためだし、自分のためであることが他人のためである。個体としては分かれているものだけど、その次元を離れて、より本質を見ればそれらは渾然一体となっているものでもある。

それを漠然と、自らの古くからの習慣が元で設定した世界観の下での「他人に喜ばれる」ことに叶っているかどうかを計って一喜一憂することは無意味、というか自分の本質的な望みからは外れているので、禁煙のように辞めることに努めていこうと思う。

すっかりおなじみになったコーヒー仲間

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今日はオリーブパン

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スーパーにはこうやって売り物のみかんを潰してジュースを作るマシーンがある。500ml1.47ユーロ

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お昼ご飯はジョージさんがオムレットを作ってくれた。あまり経験がないようだったけど自己流で美味しく作ってくれた。

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夜の散歩から帰還

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