野宿は安全だったけれど朝日がものすごく暑い、テントを置く場所をミスった。。
今日は街中のカフェで作業をしたい。あっちに見えているのがポドゴリツァの街。
良い感じのカフェを発見して席をインターネットをお借りする。
作業をしていると後ろから英語で声をかけられた。
色黒で、この国の人じゃなさそうな男性。
「ポンプを貸してもらっても良いですか?」
彼の自転車の前輪の空気が抜けてしまっていたようだった。
いつも携帯している小さなポンプを貸した。
空気を入れている彼と自己紹介になった。
イラン出身、50歳。
このモンテネグロに2年間住んでいるという。
とても落ち着いた雰囲気の、良い人そうな男性だった。
無事に空気が入って自転車が復活した。
今日は一日、ポドゴリツァにとどまって作業をするつもりだったからこの辺りで泊まれそうな場所を尋ねてみた。
すると「ぼくの家に泊まって良いよ」とOKしてくれた。
わー!ありがとうございます!!
彼の名前は「ダヴィッド」と言った。
彼に着いて家まで同行。
家はレンタルで
管理人さんがすぐ隣に住んでいるコンパクトなサイズの場所だった。
ダヴィッドはイランの家庭料理を振る舞ってくれた。
トマト味のスープでじゃがいもやにんじんやチキンを煮込んである。美味しい😆
あと、ご飯と一緒なのがもう最高です😆
お茶も出してくれた。
紅茶にミントのようなハーブも一緒に煮出している。スッキリする😊
部屋にはギターやパーカッションが置いてあった。
パソコンからはずっと音楽を流している。
「どんなジャンルでも聴くよ」
このバンドは知ってる?と曲をかけてくれるけれど、
音楽関連は全然知らない。すいません、クイーンぐらいしか知らないです。
・
ダヴィッドはゆっくり自分が体験したことを語って聴かせてくれた。
(以下に書くことは本人の許可をいただいた。聴かせてもらったことを自分の記憶を元に書いているだけで、自分で調べたりしたわけではない。実際の事情とは異なる部分があるかもしれない。)
彼はイランで高校生の数学の教師をしていた。
現在、このモンテネグロでは家庭教師として何人かの生徒に数学を教えている。パンデミックが始まってからはオンラインでのクラスになったという。
ダヴィッドはイランから亡命によってモンテネグロに移ってきた。
ダヴィッドは母国で警察に逮捕されそうになっていた。
「音楽を楽しんでいた」ことが罪状なのだそうだ。懲役8年。
イランはイスラム教シーア派を国教としていて、現政権は生活の細部に至るまでイスラームの教えに準ずるように国を治めているのだという。
イスラームの教えに準じない行為は厳しく制限されていて
ダヴィッドが教えてくれた限りでは
音楽(おそらくイスラームに関連のないもの)を聴いていたり演奏していたら即逮捕。
女性は肌を露出していたら即逮捕。
路上で男女が接触していたら(キスとか)即逮捕。
酒を飲んでいたら即逮捕。
その他、実際にどれほどの自由が制限されているのかは未知だけれど
この情報だけでもぼくの生きてきた環境からすれば生活しているのが怖いと感じるくらいの不自由な生活が想像された。
ダヴィッドはYouTubeでイラン出身アメリカ在住の有名なシンガーの動画を見せてくれて「彼女も帰国したら逮捕されてしまうんだよ」と教えてくれた。
このルールは旅行者にとっては全然関係ないのだという。
確かに、これまで実際にイランに行ったという旅行者からは「イランは全く危険ではない、人々がホスピタリティに溢れている素晴らしい国だ」という体験談を聴かせてもらっている。
が、国民に対してはびっくりするような制限が課されているのだそうだ。
やむなくイランを出たダヴィッドはトルコ、セルビアと移り住んできた。
そこでもいろいろと厳しい体験をしてきた。
トルコではたくさんの労働搾取を見てきたことを教えてくれた。
イランやイラク、シリア人が生活のためにブルーワーク系(ゴミ回収や道路工事)の仕事をトルコで得るが、
同じ労働現場においてトルコ人は日給30ユーロのところを、
外国人は日給5ユーロの雇用契約。
しかもこの約束は月の給料日に雇用者側から一方的に反故にされ、
結局タダ働きになってしまうことが頻発しているのだという。
話を聴きながらトルコの道端でゴミ回収をしている、色黒な男子達のことを思い出していた。
セルビアの難民キャンプに滞在していた時期があって、その難民キャンプでは滞在者同士での喧嘩が絶えなかったという。
今の自分みたいに放浪していた時もあった。
セルビアのとある町で野宿していた際、テントから出た瞬間、数人のセルビア人若者グループから、暴行を受け、金品を強奪されたこともあったという。
現在、このモンテネグロでは近所の親切な友人に恵まれ、生活用品をお裾分けいただいたりして穏やかに過ごすことができているようだ。
友人と一緒にモンテネグロの山に旅行に行った写真や、トライアスロンの大会に出場した時の写真を見せてくれた。
母国には両親にお姉さんが住んでいる。イランの制度が変わって、ダヴィッドの件が罪と見なされなくなった時には母国に帰りたいと言っていた。
綺麗な川があるから一緒に行こう、と誘われたので同行する
「川で演奏するんだ」とパーカッションも持って出かける。
放浪生活をしているときは路上演奏でお金を作っていたりもしていたそうだ。
目的地のモラチャ川。
青い!
こういう風景が首都の中にあるって良いなあ。
一緒にひと泳ぎ行きます
が、やっぱり、冷たい!!
長居できないのですぐに上がった。
川から上がってダヴィッドは演奏を始める
ムービーも撮った。
さらに別の場所へ
ポドゴリツァのシンボル的存在、ミレニアムブリッジ。
記念撮影😃
次はハリストス復活大聖堂に連れてきてもらった。1990年代に建てられた新しめの教会。でかい。
内部
アイスクリームを奢ってもらった😊
このチョコレートがたまらない😊
や〜美味しかった😊
その後はダヴィッドに自分の買い物の用事に付き添ってもらった。
自転車ブレーキの修理、印刷が必要なもの、SIMカード、イヤホン。
現地で暮らしている人が一緒だと安心感が全然違う。ありがたかった😊
小さな驚き。
街中にはこんな風に自転車乗りが信号待ちするのに便利なものがある。
こんなの初めて見た。自転車フレンドリーって日本で育った自分には具体的にどんなものか想像つかなかったけれどこんな感じなのか。
ダヴィッドの家の前の庭スペースでテントを張らせてもらって安全に守られながら眠った。
〜〜〜〜〜
ダヴィッドの話し方や声、表情はとても穏やかで優しかった。そして、話を聴いて最初からなんとなく感じていたことをはっきりと理解したが、悲しさを帯びているような印象もあった。
彼が味わってきた壮絶な時間を経て、今日、こうして暖かくぼくを迎えてくれる今がある。その人生を、ただ、思った。軽々に感想を付することはできず、ただ思った。
・
日本の中だけで見ても、もちろん世界中を見渡しても、場所を問わずそうなのだけど、
食べるものがなくて飢え死にする人がいたり、理不尽に人権を脅かされている人がいたり、生まれた時から愛してくれる人が周りにいなかったり。話を聴くだけで心が荒んでしまう心地がする様な体験をしてきた人は本当にたくさんいるということ。
人生の辛さや重さを比べることは本来無意味なことだと思っているけれど、それでも「自分よりもはるかに辛い思いをしてきた人」と思いたくなってしまうような辛さを味わってきた人は星の数ほどいるのだろうということ。
そういうことは高校生くらいの頃からよく想像してはいた。
ダヴィッドは自分の中ではそういう種類の人だった。そういう種類の人と出会って友達になって、知っていただけのことがちょっとだけ現実的な質量を伴うようになった感覚があった。それは自分にとってとても大切なことだった。
・
トルコで理不尽な労働をさせられている人たちの話を聴いた時に「彼らはどうしてそんな環境で生き続けているの?」とダヴィッドに質問をした。
「彼らにはイメージがないんだと思う。このやり方以外で生きていくイメージが。」
その返答を聴いて、今歩んでいるこの、自分の道でやっていきたいことの一つの側面がくっきりした。
人はイメージから始まるんだ。
自分が目に見えるレベルでやっていること。それは歩いて、それを現地の人々やこうしてネット上に見せていくこと。ただそれだけのことでしかない。
でも、それが誰かの良いイメージになることもあるのかもしれない。
もちろんトルコで労働している外国人の様な人に届くような気は全然しないけれど、今、現地でぼくを見て楽しんでくれる人やネット上でこうして見にきてくれている人たちが実際に居て、その人たちに届く可能性ならなくもない気がする。
ぼくを目撃する人の中に、その人の幸せにつながるイメージを紡ぎたい。
・
ダヴィッドが送ってくれた自己紹介より。ぼくの意訳をつけます。
Everywhere I face different challenges everyday.
(私は日々どこにいても、様々な難題に直面してきました)
I believe I can't do anything alone.
(私は1人では何もできないのだと思っています)
we can experience an easier life by sharing our experience and abilities.
(私たちは互いの経験や能力をシェアしあうことでより穏やかな人生を送ることができるはずです)