HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

神様を信じなさい(Brufut)

自分の旅は友人からのアドバイスで始まりました。やりたいことをやりきれずにモヤモヤしているけど何をしたら良いのかわからない。主にそういう内容の相談をして「走れ」と言われました。全然アテになりませんそんな助言。生計はどうやって立てるの?何に繋がっているの?何を問い詰めても彼は「楽しめ」とか「腰を使え」とか「頭を使うな」とか「女を作れ」とか自分が欲しかったドンピシャではない事ばかり返されました。そして「南極にでも行ってみれば?」と言われ「行って死ぬか行かずに死ぬかだったら行って死のう」とふと思って決行、それが海外一人旅の始まりでした。それからもウダウダな悩みとよく分からんアドバイスのやりとりが続き、今では日本無帰国もうすぐ3年です。

自分にとってコアな相談ができるのは彼しかいませんでした。なぜなら彼くらいトチ狂っている人間を他に知らなかったから。人生にどんな展開が訪れても絶対ガハガハ笑っている。脳梗塞を患って半身が動かなくなり言語もろくに話せなくなって一言一言ゆっくりとしか出てこなくなっても「むしろそれが良かった」と余裕のサムズアップ。それはもうたくさんの人にメッセージや電話で口出しお節介やそして5、6人集めての自己流コンステレーションワークを通していろんな方面の悩み事に「頭で解決するんやないで、自分のコアと繋がり、神さまと繋がり、感じるままに軽々笑って生きるんや」という方向性の導きをしていました。生活保護を受けつつの一人暮らしでいつもほとんどお金がないはずなのにアーティスト仲間がライブやイベントをやるならいつも駆けつけて楽しんで終わった後にまたそういうアドバイスをしていました。何か小さな活躍をした友人に気軽にお金を渡して讃えていたりもしていました。健康面も経済面も明らかに苦しそうにしか見えなくていちど「あなたの生活は大丈夫?」と尋ねた時、いろいろ何か言いたそうにしていたけれどそれは難しく、結局笑顔でさっぱり放った「どうでも良いんだよ」の一言はぼくの中で消えない灯火です。なにがあっても笑ってスカッとしているそのトチ狂った姿は当時理解が追いつかないけれど、生きることの本質であるように直感的に受け取っていました。よく分からないがこやつの話は聴いておくべきだと分かってる、不思議な感じでした。

彼が亡くなって以降、生前ポロッと紹介してくれたブログを旅先で本格的に読むようになりました。特に2022年の1月に調子を崩してからは本格的に。7〜10日間くらいのペースで更新される記事はすぐにチェックし過去ログも漁りました。最初は言っていることが難しすぎて1割も理解できないのだけど文章から滲み出る知識の膨大さや何の衒いもない率直さや淡々と真実を述べて行くだけのその雰囲気がすごく好き。見た目は友人と全然違うけれどこの方もこの方でトチ狂っておられていて心惹かれる。何度も読んで理解を試みました。そして腑に落ちてくるほど、生前の友人が伝えようとしていたことと重なってきて「ああ、だから彼はあんな風だったのか」と、自分の中で明らかになってきました。友人は理屈よりも感覚や雰囲気、体感や勢いでそのまま伝えるタイプ(脳梗塞の後遺症で言葉を思うように発せなくなっているので自然とそうなる)。こういうことは結局、感覚的な理解に辿り着くことが最重要なので、彼の伝え方はそこへの最短直通ルートの良さがあるのだけど、どうしても自分は理屈の方でも理解したくなってしまうので、このブログのキレッキレのロジカルさがありがたかったのでした。

ちょうど今日更新された記事からもいろいろインスピレーションを受け取ったのですが、その中に「宇宙を信頼していればどんなメソッドもワークもやらなくていいのです」とあって、生前いつも種々の煮詰まった悩み事を抱える者たちに対し「神様(=宇宙)を信じなさい」と軽く笑って伝えてきた友人と重なりました。あの頃の自分は悩みの具体的な解決策ばかり求めていて 1割くらいはそうだと思えても9割くらいは満足できず彼と同じ内容の問答の堂々巡りを繰り返した。なんだよそんな怪しい宗教団体でしかない結論。それでも1割の納得に誘われ、不器用ながら自分なりの理解をしようと頭で考え、寄り道しまくって手探りで間違え確かめているうちにステージが上昇したのだと思います。今ならこの一見思考放棄の宗教みたいなスピワードが何周も回って染み込んでくる。ヤツの言葉はまったくその通りだったんだ。肩肘の力がまた一段ふっと抜けていく心地よさを感じました。

ちょうど2年前の今日は彼が亡くなったことを知った日でした。悲しいとか寂しいとか会えないなんてとんでもない。むしろ丁度いいwいや、ウソウソwwでも近しくなった気さえする。そしてずっと余裕で「イェーイ!」と笑って親指を立てて笑っているとしか思えません。

今日も過去記事の更新作業。それからちょっと破れた鞄の修繕を行った。

家政婦の方が毎食作ってくださってわざわざ呼び出していただいている。

父子の休憩。今日はお父さんが本を読み聞かせしていた。

飼い猫のジンバ。触らせてくれます。

夕食もまたしっかりとしたものをいただいた。

更新作業で頭が疲れたら自転車のサイドバッグの修繕をした。破れた穴にちょっとだけ丈夫そうな買い物袋を縫い付けた。見た目はよろしくないけれどしばらくの間は持ってくれると信じる。