HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

縦と横(Brufut)

1日のほとんどは作業、帆船のお手伝いをしていた3月の記事をアップし始めているが、私的にあまり楽しい思い出ではないのと、やはり3ヶ月も前のことなのでぽんぽんとは書けずなかなか苦しい。

夕方にあさひ君がセネガンビアというクラフトマーケットで自転車のサイドバッグをオーダーするというので、観光がてら少しだけ見に行ってみた。

セネガンビアクラフトマーケットはそこまで混んでなくて落ち着いている印象。カラフルなアフリカ布を使った服やバッグ、小さなジャンベっぽい太鼓や木彫りのお面みたいな顔や人形が目を惹く。つまり目を惹くものだらけ。ここに来たらテンションが爆上がって数時間はあっという間に過ぎるであろう人の顔が色々浮かぶ。

応援してくれた人や仲間たちにお土産物でも買ったら良いのだろうと思うのだけど、こういうものって本当に良いものなのだろうかと勘繰ってしまう。もちろん売り手は「本物だよ」とか「伝統的なものだよ」とか、観光客が喜ぶ売り文句を心得ているからなんとでも言える。しかし本当か?自分に真偽を判別するだけの感覚や知識や直感が備わっていないが故の悩み。

せっかく自分は時間をかけて滞在できるのだからもっといろいろ見知った上で買うとか、もしかすると秘境のどこかの部族が本物の中の本物みたいなものを作っていて、それを譲っていただけたりする方が貴重なのではないかと思い描いてしまう。ガンビアはこれからぐるりと回って行くので良い出会いに期待。都会のマーケットはその国の良いところのまとめ、みたいな感じでざっと眺められるので見ておけて良かった。

写真を撮りたいがアフリカでは写真嫌いな人も少なくない(逆に撮ってくれって言ってくる人もいるけどね)ので迂闊には撮れない。その場で人形を彫っていたおじさんに尋ねると「ネットに写真を流されたくない」ということでNG。理由に興味があったのでさらに尋ねると「嫌だから」ということだった。嫌だから嫌、写真だけじゃなく、何事においても充分な理由である。

セネガンビアクラフトマーケットの地図。

ラクションを鳴らした車がぼくを追い越す時、助手席の男が「お前邪魔だよ」的な顔を出してきてなにか文句を言ってきた。騒音激しいので何を言ってるのかわからない。右側通行の車道の右端を走っているだけなので文句を言われる筋合いはねぇと怒りたくなるところだったのだけど、ぜんぜんそんな気になれない。怒らないようにするのではなくもう、なれない。不思議だった。

でもこの状態が素晴らしいなぁと思って自分の中で探ってるうちに「縦で居るからだ」とまとまってきた。

縦は立ち姿勢や座り姿勢の背筋を伸ばした自分を基準として頭てっぺんから足元(座っている時は尻)までの地面と垂直な直線。そしてこの直線は自分の身体の範囲を超えて上は天まで下は地の果てまで、どちらも無限に伸びる。これは要するに自分である状態※ 身体的不自由により身体がその姿勢を取れなくても、これは在り方が本質なので、その人なりの真っ直ぐを設定することが縦ということになると思われる。

対して横は垂直縦以外の傾きを伴った状態。要するに自分以外を気にしている状態。自分以外とは物質が世界を構築していると想定する3次元設定における他者、自分の肉体を含めた物質、現象、霊、亡くなった方、ご神仏、有形無形問わず自分と一体化していない存在全てのこと。大抵、何でも横方向にあるから横なのだろう。

「自分である」というのは要するに縦。「自分でない」というのは要するに横。

縦は心地よく、横は波が激しい。

縦は自分の心地よさに集中でき、横は自分以外の存在の状態に気を配らなければならない。

縦はナチュラルポジティブが可能。横は不安や心配といたネガ感との不可避な組み合いが頻発する。

縦は体感フルオートで疲れ知らず。横は体感フルマニュアルで疲れる。

縦は必要以上に欲さない。横は欲が欲を呼ぶ無限欲道。

縦は自分軸。横は他人軸。

大雑把かもしれんが結局のところ平和とは一人一人が縦で在ることと思えてくる。

夕食には「チェブ・ヤップ」という牛肉飯をいただいた。チェブ・ジェン→魚、チェブ・ゲナ→鶏肉、に続く、ヤップは牛。