HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

波に乗る(Brufut)

2月頃から調子は落ちた。タリベのボランティアで自分のことが情けなくなったり、南アメリカ行きが難しくなったり、カーボベルデに行くはずだった帆船は5週間雑用に費やしただけで降りた。旅の進行が思うように行かず、楽しめなくなり、自分の発信に自信が持てなくなった。このブログの記録は3月の中旬から5月の中ごろまでほとんどぽっかり空いている。出来事は形にして伝えない限りずっと自分の記憶と記録の中に留まったまま。そしてそれは新しい出来事を重ねるほど薄まっていき忘れ去る。それも良しなのだけど、自分には心残り。そういえば仕事で写真を撮る時もこの瞬間を逃すのは勿体無いと思って枚数は膨大になってた。とにかく残したがりなのだと思う。毎日の記事なんて誰もついて来れる量じゃないと知りながら。

ここ数日はこの膨大な量のアップ出来ていない報告に時間をかけてでも取り掛かろうか、立ち往生していたけど、やらなきゃ忘れるという意識が決め手になり、今日は動き出した。パソコンに向かい合う。ご家族の人達からは「頑張ってるね」的なあたたかい笑顔を向けていただけた。これからは旅して書いて進んでいくと確信を深めたので、気力を失って動かなかったこの期間分も仕上げたい。

7、8本くらいアップロードは出来た。思ったよりも進んだ印象。更新している中で「波に乗る」という感じをこれまででいちばん感じることができた気がした。波に乗るというのは自分の良い感じの状態をキープすることなのだけどもうそのキープ度合いがぜんぜんこれまでと違う。頭の中が真っ白のまま、ただ進んでいくだけになって気持ちが良かった。

もともと自分はこれがすごく苦手で、ちょっと上手くいくことがあっても次もまた上手く行くか不安になったり、また次に上手く行くためにどうするかと考えるために立ち止まったり。一度出来たのだからそのまま動き続ければ良いようなものを頭が動いて立ち止まりせっかく乗った波を逃すような事がよくあった。

が、ここ最近で加速してきている脱3次元感によって自分の制作物の出来栄え、そこへの評価、他者に及ぼす影響といった、およそ自分のテンションを下げる要素の重要度が下がってどうでも良く、なってきた。そして自分がまさにこのその時言いたいことを書いている時の心地よさを味わって楽しむ、ということの重要度が上がってきた。有り体に言うと自分以外のことを気にしなくなってきたのである。

自分が作ったものが間違いで誤解を与えてしまったり物議を醸したり誰にも関心のかけらも寄せられぬほど無意味でも良い。その意義は自分の常識の範囲をはるかに超えたところにあるかもしれず、それを自分で把握しようなんて思わなくて良い。無意味に思われたものがものすごく有意義だったなんてどんでん返しはきっとざらにある。後先なんて考えずともよろしい。この瞬間自分が動きたいまま動くだけで充分。踊る。踊る。踊る。宇宙はこんな小さな存在のちぐはぐな一挙手一投足など、容易く全て包摂し、完璧に流れていく。どんな悩み事も「そんなのなんでも大丈夫や」と言わんばかりの極大な器。そこに乗って流れてただ踊るだけで良い。

書き疲れたらプールにダイブ。昼と夕の2回飛び込ませていただいた。

昼食にはマンゴー。でかいです。値段を尋ねるとピンキリだけど大体ひとつ40円くらいで買えるようです。熱帯のソウルフルーツ。「日本ではほとんど無くてこんなに当たり前には食えませんのですよ」と伝えると驚かれる。

夕方は家族のみんなと一緒に