HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

もっとそのままに(Glengrasco↔︎Portree)

ヒーローズあさひ君(YoutubeTwitterInstagram)との二人旅は続く。

昨晩キャンプさせていだたいたゲストハウスのオーナー、レスさんが気を利かせてくれて「今日も泊まっていくかい?」と言ってくれたので、やるべき仕事の溜まっている二人はありがたく甘えさせていただくことにした。今日の予報も雨。たいへんたいへんありがたい。

図書館で溜まりに溜まったブログ更新を進める、つもりだったけど、結局ここまで撮り溜めていた写真をあさひ君にシェアして、自分のブログは一記事も更新しなかった。

それよりもただしばらく見ていなかった写真を眺めていたり、浮かび上がってくる気づきに触れていたり(側から見ると何もしてないぼーっとしている)、その中の、言葉になる範囲をメモしたり、適当に目についた本を読んでみたり(助産師の仕事のルポみたいな本を読んでた)、初めに頭の中で設定していたノルマはさっさと諦めて特になにも課さずに過ごした。

貴重な作業時間なのに勿体無い。と、以前の自分なら思っていたと思う。

自分はもう、無理して作業なんてやらない。

これまでは旅の記録を鮮度の高いうちに発信しようとしてガツガツやろうとしていた(実際ほとんどできていないけど)。それは一般にこの情報発信によって生き残るための常識(と思われるもの)であり、亡き友人からも「ライブ感が大事」と言われていたこともあったから。それ故に実際にできていないことに焦りも強かった。

今でも鮮度の高い状態で更新することは価値だと思うし、実際に今もそれを楽しみに待っていてくれている人がいるのであればそれは申し訳ない。

ただ、今そうなっていないこともまたOKだ。今はまだそうなっていないだけ。本当にできるようになりたいのであれば、然るべき時に必ずできるようになっている、もしくは別の方向性を志してこの課題意識も忘れ去る。

それよりも今、手の届く範囲の関心に焦点を当ててみる。今なってしまっている状態そのままに焦点を当ててみる。

・・・

この図書館で過ごす中で思い浮かんだことの一つ

もっと、伝わらなくて良い。

ぼくはぼくを助けてくれる人になんとか得をさせてあげたいと思う。

そのためにぼくが考えたのは自分の旅の様子を伝わるようにリポートすること。

でも、このブログはアクセス数からして、ほとんど出会った人には見られていない。

書いてある言葉は日本語だからここ2年弱で増えてきた外国人には読まれない。旅を続けながら書きたいことを素早く書くのにぼくの英語の力は遥かに足りない。この並べられた写真にしても、自分がどこで何をしたのかは全然伝わらない。動画全盛の時代、こんな静かな大人しいコンテンツよりも手軽にアクセスできて刺激もより具体的なYoutubeを見るという嗜好はぼくにだってある。

応援してくれた人に旅の発信を届け、楽しませることを恩返しとしたいが、自分のメインであるブログでそれが叶っている実感がない。

これもまた旅が始まってから(というか始まる前から)ずっと悩み苦しんだ部分だった。

でもこの日、自分の撮ってきた写真を見て

「伝えようとしなくて良い」と思った。

何を書き連ねるにしても、何をどう撮るにしても、結局その具体的な五感への刺激はその受け取りての中で抽象化されて最後は振動しか残らない。それで充分すぎるくらいというのが本来ではないか。

振動を単位とするならば、文字や写真に限らず、ネットだろうとリアルだろうと、対人であろうと一人であろうと、全てが全く関係ない。

一挙手一投足の全てが自分の振動となって世界に伝播し同時に自分に伝播しまるごと全部になる。

ずっと頭で考えてきた「ちゃんと伝える」ということはこのことと比べたらやはりどいうでも良いことなのだと思える。

動画を撮るとかSNSを更新するとか色々伝わりやすさを重視した努力を意識してきたけど、正直面倒なんだよね。それは自分が想像する他者を想定して、その他者のための行動になっているから。

そんなことやろうとしなくて良い。必要ならできるようになるし、必要なければ生涯できなくても良い。

ただ気持ちよく遊んでいてOK。

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朝ごはんを用意してもらってとても幸せだった。

奥様のメアリーさんがイタリア人で旦那さんのレスさんがスコットランド出身のご家族。

メアリーさんは写真家もできる。レンズの趣味がぼくと一緒である。

一人息子のブレイクくん

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図書館にて

拾い読みした本

ちょうど座った席の書庫はその関連だった。

帰り道。またいろんな表情の天気の下を駆ける。

こちらがお世話になっているゲストハウス。

夕食も用意していただいていた。ブラウンパスタにチーズ。大満足です😊