HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

昨日の友、今日のホスト(ニクシチ Никшић〜ヴィドロヴァンVidrovan)

この日、開催したFacebookでのライブ配信でどうしても伝えておきたかったことを、ひとつかいつまんで書き記しておきます。

それは投げ銭を送ってくれた人をはじめとする、ぼくの挑戦に協力してくれた人たちに対して。

ぼくが死んでしまった時のために先に伝えておきたいと思っています。

自分は日々、どんなことがあっても「まずおれの命から守る」というスローガンで、安全のキープに善処しているのですが、やっぱりいつ死んでしまうことになってもおかしくないというのは変わりないと思います。

正直なところ、ぼくは家なしで野宿ばかりして生きていようが、でっかいお家で素敵な友達に囲まれて生きていようが、「そんな目に見える環境なんか関係なく、死ぬべき時に死ぬもんなんだ」と本気で信じています。

ただ、こう、こんな生活をしている状態で命を落としたら「ホレ見ろ。危ないことするからだ。」みたいな見方をされやすいのかもしれない。誰も言葉にしなかったとしても、なんとなくこう、そういう空気になるのかもしれない。

「死ぬってことは迷惑をかけることだ」的なことを言われたこともあります。海外で身を落とせば大使館の人が忙しくなってなんたら、国際関係がなんたら、自分の家族に金銭的負担がかかってなんたら、まあきっと、自分の想像をはるかに超えて大きな負担がいろんな人にかかるのでしょう。

きっとある見方では、これまでのプロセスがどんな物であろうと「自分勝手な旅をして迷惑をかけた」という結果の部分にスポットライトが当たって、この自分の活動全てに「いけないことをした」という否定的な見解が浴びせられることになるかもしれない。なんか知らんけど、なんかの肩書きを持った偉い人とか専門家みたいな人が突然現れてそれっぽいことを論じあげるのかもしれない。

自分が悪人扱いされることは、もちろん嬉しくなんかないですが、まあ、それは構わないです。

ただ、すごく気がかりなことは一つだけあります。

それは、自分に協力をしてくれた人にその「いけないこと」の片棒を担いでしまった、と思わせてしまうこと。自分が協力してしまった結果が無惨な死だった。という結果にただ悪い思いをさせてしまうこと。

考えすぎかな?杞憂ならそれで良し。スルーしてください。

でも、もし、一人でもそういう人がいるのだとしたら、そこに対して自分の気持ちを伝えておきたい。

何より伝えておきたいのは、自分に協力をしてくれた人は、もうこの時点で、ぼくの命を救ってくれているということ。ぼくは自分が本当にこういう旅をしてこういう生活をしたいと願って、でも自分だけの力ではここまで来ることはできなくて、他人に協力してもらうしかなかった。願い事を叶えてくれたのは協力をしてくれたみなさんです。

理由もはっきりしない旅です。ただやりたいからやっているだけ。そもそもこんなことに挑戦なんかしなくたって、地球規模では特に何事もなく、これまで通り時は流れていくんでしょう。でも、それでは自分はただゆっくり死んでいくだけのような生き方だったと思います。

実際そういう生き方をしていた時期があって、その時にものすごく危険なこともありました。自分の中に蓄積される鬱憤が溜まりに溜まって、ある時点で何かの糸が切れたかのように、当時大切にしていたはずの身近な人の自由な姿が妬ましくなって、首を締めて殺そうとしてしまったことがあります。事故なんかではないです。明確に殺意を持って殺そうとしました。相手の苦しそうな顔を見て我に返って最悪の事態は免れました。

物理的に何もしなければ平穏なのか、というと、そうとは限らないと思います。一人一人の奥深くにはそれぞれ異なる命の流れ方がある。それに反したことをしていると、ぼくの首絞めみたいなわかりやすい形じゃなくても、自分及び、周りの人々に何か悪い影響を与えてしまうのだと思います。それもまた結局、「迷惑をかける」ということに該当すると思います。規模の大小も、それほど重要な要素ではないと思います。

今、自分はこうして旅をすることができて、そうでない生き方をする人から見ればいろいろ大変そうに見えるのかもしれませんが、人殺しになってしまいそうだった時よりもずっと穏やかに生きることができています。幸せだなあ、と思います。自分の幸せの形に近づいて行っているのだと感じています。

そんなわけで、この旅に協力をしてくれた人たちは僕や僕の周りの人たちの命を救ってくれたんだと思っています。

この旅路の果て、最終的にぼくがどんな終わり方をしても、今、ここまでの時点で、こうして命を救ってくれて、幸せにしてくれた恩人です。ぼくの命の当事者であるぼくからは、そのことをはっきりと伝えさせてください。

繰り返しになりますが、もちろん、第一に日々、生きることに善処します。それは前提ですよ。死の形も、死ぬ時期も、人間の思惑なんかをはるかに越えた流れで動いているのだから、なんだって良いさと正直、思っていますが、こうして生きている限り「生きて為さねばならぬことがある。死ぬことだけはアカン」と思って生きます。

ここまででたくさんの幸せを味わわせてくれた応援者の皆さんに心より感謝を。ありがとうございます。

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午後からのライブ配信のために全エネルギーを注いだ。

予定ではニクシチの街のどこかを写しながらライブ配信をする方がモンテネグロっぽい景色になって面白いかなと思ったけれど、偶然発見した田舎のパン屋さんに落ち着いた。全然パッとする景色じゃないけれど、普段の自分の旅の景色に近いし、そもそも自分が話すことがメインだし、良いじゃないかという気になった。

前日までどんな良い景色を見せようかとかなり考えて地図と睨めっこしたけれど、直前になって全然想像していなかったところに落ち着いたり、ライブが始まる直前に地元の農家さんからジュースをもらってそのことを本番で話したり、ライブ中に店のオーナーからライターを持ってくるように頼まれてトークが中断したり。

もう、あれだ。

本番の前に綿密に予定を立てて安心しようとしても無意味(っていう有意味でもあるけれど)だと心底思った。

スマホSImカードテザリングでパソコンのカメラに写したライブの試し。ネット環境はそこまで強くはなくて、動きはカクカクで、画質もパソコンのカメラだから綺麗じゃなくて、普段写真や動画の画質を気にする自分としてはとても気になるのだけれど、見に来て楽しんでくれる人はそれを差し引いてもライブで話していることを聞いたりやりとりができることに魅力を感じるんだなあと肌で感じて勉強になった。

話の中身では「支援」でも「ドネーション」でも「クラウドファンディング」でもなく、「投げ銭」と呼んでいる理由とか、自分に投げ銭をしてくれた人に対してお願いしたいこととか、ずっと思っていたけれど言っていなかった大事な部分を発信することができて良かった。

 

大仕事を終えたあとは北に向かって進んだ。

途中で偶然、昨日の湖で連絡先を交換するくらい仲良くなったカップルとばったり遭遇。フレンドリーな彼らに招待され、近くにあった彼女の実家でお茶することに(カップルの二人はポドゴリツァ在住だった)。

ゆっくりの車の運転についていって彼女の実家へ。

彼女の家は8年前まで営業していたレストラン。たくさんの観光客が訪れていたそうだ。レストランを自分の手作業で建てたお父さんは他界されていて、現在はお母さんと妹さんの二人暮らし。

四人と話をしているうちに日が暮れて行ったので家のお庭にキャンプをさせていただくことになった。

営業していた頃のレストランでシェフをしていたお母さんがとても美味しい晩御飯を振る舞ってくれた😊

カップルの彼氏さんが育った町がこれよりさらに山を登る方向に北上したところにあるというので、進路をそちらに変更することに。

モンテネグロ人で初めてできたとてもフレンドリーな友達だった。ご縁で生活を繋ぎ、仲間が増えていくことが何よりの宝物だと思う。彼らに心より感謝です🙏 

 

この家のWi-Fiをお借りして深夜、朝の日本と繋いでインタビューをお受けした。まあ喋り過ぎて申し訳なかったのだけど、会ったことのある人やない人のメッセージをいただけて、またご縁に広がりが生まれたようで、とても嬉しかった。ご縁に感謝です🙏

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パン屋でブレクを食べながらやろうと思いつく。1ユーロ。

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パンは50セント、大きい😊

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ライブ配信開始5分前。緊張しているところに見ず知らずの農家さんからジュースをもらう。おれ、ただの怪しい人なのに😂

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ゾバという名前のちょっとライチっぽい味がするジュースだった。

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この実を絞るそうです。

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ライブ配信

 

昨日の湖で出会った時の写真。彼らと全然違うところでばったり会った。

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スカレ(階段)という名前

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名前の由来はこの階段。

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川のすぐ近くに席がある

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家族のみんな。左が彼氏さんで右は姉妹。

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姉妹の幼少期。

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プニェニャ・パプリカ(Пуњена паприка)という、パプリカにご飯をつめて煮込んでやわかくしたもの。バルカン地域にはパプリカ系の食べ物がたくさんある。

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彼は電気関連の技術士

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キャンプ風景。

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深夜のモンテネグロと朝の日本のインタビュー

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