HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

自分の喜び感を捉える(Brufut)

今日も作業日としたけれどスイスイとは進みませんでした。「やっべぇせっかく時間があるのにマズい」と正直思います。

でも焦らずにゆぅーーーっくり(という体感になる、気が急いているから)体操したり瞑想したりで「マズい」と焦る気持ちを鎮めていきます。波立つ水面を凪らせるためには一切手出しをせずにただ待つような。

で、何もかも忘れるほど良いと最近すごく思います。マズイ感やそれに紐付く過去の後悔や未来の不安、ダメな自分といったネガティブ感はもちろん、今すべきことやその先のゴール、応援してくれる人の顔と言ったポジティブっぽいことも全てひっくるめて忘れてまっさらにしてしまう。そしてそのまっさらになれているかってことすらも忘れる。わたしは何とも関係ないが、それでも全てと一体になってしまっている。描きながら思いついたけど個としてもひとつだし全体としてもひとつ。いずれにせよひとつ。

これが出来てくると自分の持ち物はもちろん、やるべきこと、他人とのつながり、およそこの現実生活を上手く回していくために必要っぽい要素全ての重要感が薄まってきて、自分が感じていることだけになってくる感じがします。するとずっと背負っていた重たい荷物を下ろした時の軽やかさとか、嫌な仕事や嫌な役割で背負う重たい義務感から解放された時の喜び感に近い感じが微かに出てきます。音符♪が飛んでる感じですね。私的にはこれが自分のピュアなポジティブ感であり、これを捉えてフォローしていくと良いだろうとしています。結果的に生まれる行動は感じる前と何も変わらなかったり、別のことに取り掛かり始めたり、何もしなくなったり、どうなるかわかりませんが、この軽やかな状態であればそんなの関係ねぇです。なにも纏わぬ、なにも背負わぬ、純な自分がアガる瞬間を捉える。

ぼくはもうほぼ10年前くらいから散々こういうことを出会う人から伝えられてきていたのですが、感じることを自覚できるようになりはじめたのはつい2年前くらいから。ものすっごい鈍行で来ている感じがします。でも速い遅いにもやっぱり特に優劣はなく、遅いなりの良さをいずれ伝えてみたいと思ったりします。とにかく今はこの自分のリズムを捉える、という見た目には全然わからないマインド的練習を、旅活動の裏で継続していきます。

何気にここ数日一緒の場所に滞在していたあさひ君が旅立つの見送った。ガンビアで盗まれてしまったサイドバッグを新調するのにアフリカ布でオーダーメイド品をお安く作ってもらい、自転車のキャリーケースへの留金を金属工場で自作させてもらっていた。それに自転車修理のために猛暑の中30件自転車屋を回ったり、旅のサバイバルスキルがぼくの100倍くらいある感じがする。すごい。

帽子も作ってもらっていた。かっけえ。

見ろよ。こんな洒落たサイドバッグ見たことないぜ。

行ってらっしゃいませ!またどこかで!旅人同士の別れはいつも軽やか。